若木くるみの制作道場 ダイジェスト動画できました
2013年夏に坂本善三美術館で開催した、「若木くるみの制作道場」。
期間中ご来場くださった皆さま、ブログで日記を楽しんでくださった皆様、
「このなつは楽しかったな~。くるみちゃんはどうしているかな~」と思っていませんか?
そんな皆さまのために、朗報です。
若木くるみの制作道場の30日間30作品を振り返るダイジェスト動画ができました。
嵐のような30日間の七転八倒を動くくるみでお楽しみください。
「若木くるみの制作道場 -30日間七転八倒-」 2013年7月29日-9月1日
撮影・編集/坂本善三美術館・エフエム小国
http://www.youtube.com/watch?v=dYAYFwOYxXA&feature=youtu.be
ご覧くださっている皆さまへ
このブログは、2013年7月29日から9月1日まで坂本善三美術館で開催した「若木くるみの制作道場」に際して開設したものです。
「若木くるみの制作道場」は、30日間の会期中、若木が七転八倒しながら毎日違う作品を提案・制作するという展覧会でした。本ブログはその「制作反省日記」として若木本人が書いた日々の記録で、それに学芸員による赤ペンコメントが添えられるという形になっています。
初めて目を通される方はぜひ一番最初にさかのぼっていただき、そこから順を追って読んでいただけると、全体をお楽しみいただけると思います。
一番最初はこれ
http://sakamotozenzo-events.hatenablog.com/entry/2013/07/21/140322
何度も読んでくださっている方は、右側の月別アーカイブからお好みの作品をお探しください。
さて、ひっそり告知いたします。
詳細は未定ですが、来年、くるみちゃんが再び善三美術館で何事か巻き起こす予定です。
ぜひ時々善三美術館HPをチェックいただき、今後の動向にご注目いただければ幸いです。
最後の赤ペン
どの展覧会でも始まりと終わりがあるもので、会期が長かろうと短かろうと同じだけの準備をして、いざスタートしてしまえば刻々と終わりへのカウントダウンが始まります。
しかしこの「若木くるみの制作道場」に関しては、事前に広報以外の準備が何もなかった反面、始まってからは毎日が初日か初日前日のような感じで過ぎていき、無事終われるかどうかわからなかった分、いつまでも終わらないような気がしていました。青春の夏みたいだ。
くるみちゃんとの出逢いは、昨年6月。昨年の「アートの風」の招待作家だったワタリドリ計画の打ち合わせにくっついてきたのがくるみちゃんでした。そのとき美術館スタッフと町内有志の皆さんと一緒に食事会をしたのですが、その席でくるみちゃんは出席者一同の心を鷲づかみにしてしまいました。別に何か芸を披露したわけでもなく、むしろ「ワタリドリの友人です。ついて来てすみません。」といった感じで小さくなっていたと記憶していますが、それでもみんなは彼女たちが帰った後も「くるみちゃん」を話題にし続けたのです。この、人々をいっぺんにとりこにしてしまう求心力こそが、私に「若木くるみ展」を決心させた最大の理由です。みんながくるみちゃんに対して抱いた、根拠のない期待感。それが制作道場への第1歩でした。
若木くるみという作家は、土壇場の自分への不思議なまでの自信があって、私から見ても、冷静に周到に準備するよりも、追い詰められて七転八倒するところに創造の源泉を持っているように見えました。くるみちゃんが毎日1作品ずつ制作するという展覧会プランを出してきたとき、私が抱いていたくるみちゃんのイメージをみんなに見せるにはぴったりだと思いました。ひりひりするような作品との格闘を見てみたい。見ないではいられない。
それ以後のことはくるみちゃんの日記が語るとおりです。
制作道場の毎日は、ご想像のとおりに嵐のような毎日でした。いろんな方が私にまで「大変だったでしょう」と声をかけてくださいましたが、大変どころか、それはそれは本当に嵐を見るような楽しさでした。考えても見てください。自分がおもしろいと思う作家が自分の館で毎日新しい作品を制作してくれるんですよ。しかもそれに自分も大いに関わって一緒に作り上げていくんですよ。企画としてアイディアが最初に生まれた瞬間から形になっていく過程を間近につぶさに見て立ち会うことができるなんて、学芸員としての至上の喜びです。まして、それをお客さんがおもしろがってくれるなんて。遠くから足を運んでくれるなんて。くるみちゃんのファンになってくれるなんて。してやったりです。それを裏から見る役得をたっぷり味あわせてもらいました。
美術についてたくさんのことを考えもしました。美術の境界はどこにあるのか。作品コンセプトをどこまで伝えるべきなのか。一目で圧倒的に伝えるためにはどうすればいいのか。作品についてどこまで説明するべきなのか。そんな答えの出ないまま過ぎ去っていった数々の問いを抱えつつ、発表された作品すべてにそのつど解説(の様なもの)をつけるのもこれまでやったことのない経験でした。ろくに読み返しもしないで発表してしまった毎日の赤ペンは、自らの浅い底がいやと言うほど突きつけられるに余りあるものであったし、本当はもっと書かれるべきことがあったに違いないし、もっと書ける人が書くべきだったのだろうと思います。しかし作家以外で唯一全ての作品を見た者として、私が果たさなくてはならなかった役割でもあろうと思うので、どうぞ薄目の遠目で読んでいただき、くるみちゃんの日記に免じてご容赦ください。
制作道場の評判は、日を重ねるごとにどんどん高まっている感触がありました。作品が作りたまっていって会場が充実してきたし、徐々に作品の精度も高まっていったし、日記の充実もあったし。来場されたお客さんの反応もだんだんはっきりと見えてくるようになりました。そして会期が終わった直後、町内にお住まいのおじいちゃんからお電話がありました。
「若木くるみさんの展覧会はよかった。私は絵はわからんけど、あれならわかる。次はいつやるんですか」。
絵はわからんけどくるみちゃんはわかるってすごくないですか?絵はわからん。でもくるみちゃんはおもしろかった。それをわざわざ電話して伝えてくれるなんてものすごく嬉しい。美術館のご近所のおばちゃんたちも庭で何かがあっているたびに、「どんこん(どうにもこうにも)気になる!」といって覗きに来てくれました。いつもお向かいにいるおばちゃんたちが「どんこん気になる」と思ってくれるって、こんなに嬉しいことはない。このことだけでもやった甲斐ありというものではないでしょうか。人々と美術館をつなぐ架け橋となることを目指す「アートの風」ですが、これは確かにくるみちゃんが架けた架け橋の一つだったのだと思います。
夏と共に制作道場が終わり、千足観音の畳もイカ・タコ水墨画のふすまもすっかり張り替え、いつもの静かな善三美術館が帰ってきました。しかしいつもの静かな善三美術館なのに、「くるみ後」ではこれまでと同じにはなりませんでした。何が起こっても、何を見ても、これをくるみちゃんに見せたらなんて言うかな、どういう作品になるかなと、それを考えずにはいられなくなってしまったのです。美術館の中だけでなく、日常の中の様々な場面でも、「くるみ前」には見過ごしていた小さなものごとが新たな色と形と存在感を持って私たちの前に立ち現れてくるようになりました。くるみちゃんは私たちの脳天に、これまで持っていなかった新しいアンテナを一つ突き刺して行ったようです。アンテナ突き立てられちゃった私たちは、またくるみを感受したくてしょうがなくなっています。まるで恋みたい。皆さんの心はどうでしょう。何かが植えつけられていませんか。何かが震え続けていませんか。何かが渦巻き続けていませんか。これからこの小さな嵐を胸に巣くわせて、脳天のアンテナをくるくる回しながら私たちは世界と向き合っていくのではないでしょうか。
最後に。
寸暇を見つけては何度も足を運んでくださった方、いくつも企画書を書いてくださった方、差し入れを持ってきてくださった方、作品に参加してくださった方、お手紙を送ってくださった方、自身のブログやフェイスブックに載せてくださった方、展覧会を楽しんでくださった方、日記を読んでくださった方、そのほか応援してくださった多くの皆さん、本当にありがとうございました。
そしてくるみちゃん。本当にありがとう。いろいろ楽しかったね。
最終日の翌日、くるみちゃんたちを空港まで送って美術館に戻ると、前日くるみちゃんが走ったところが轍(わだち)になっていました。皆さんの心にもきっと残っているに違いないくるみの轍。いつかまた善三美術館へと続く道となりますように。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
ゴールとリタイア
週末、山岳マラソン大会を走ってきました。
八ヶ岳スーパートレイル100マイルレース。
結果は115kmエイドでリタイア。
走力不足以外に理由はありません。
眠くて眠くて、何度も滑落しそうになって、これから2000m登るという最大の難所を前にやめました。自分の口からリタイア宣言をしたのは初めての経験(過去のリタイアはドクターストップと関門足切りで、どちらもやむをえず)でした。
リタイア自体は賢明な判断だったと思います。
次の関門までの残り時間も超微妙だったし。
途中のエイドステーションでは、ボランティアの方に「去年も出てましたよね!」って声をかけられました。「今年はいい顔で走ってますね〜!」と言われ、そういえば去年は絶命寸前で走ってたっけ? 思い出しました。
去年は、もう、無我夢中で……。けっこう本気で、好成績でゴールしようと思っていて、なんなら優勝までも夢見るくらい。結局低体温症によるドクターストップに終わって、それが人生初リタイアで、くそ泣きじゃくったんだよな〜。今回タイムは前回と比べて4時間以上遅いので、いい顔も当然っていうか、……いい顔とか言われてる場合か?
にこにことご挨拶をしながら、無様なおとなげなさこそがわたしの心棒だったんじゃないのと思いました。
これまでは、目を背けたくなるくらい不格好でみじめでどろどろの状態をキープしたまま、それこそ恥も外聞もなく走り続けることができました。「できました」っていうよりはそれ以外の走りができなかったというほうが正しいです。「レースを楽しむ」とか本当に意味がわからなかった。なんで他のランナーは瀕死になるまで追い込まないんだろうと思っていました。
しかし、ついにレースを楽しんじゃいました〜。
周りの方とおしゃべりしたり、豚汁を味わったり、自分の実力を予測してサクッと諦めたり。
そしてわかったことは「レースを楽しむ」とかろくなもんじゃねーなってこと。わたしにとって「楽しい」の後味は「つまんない」でした。「苦痛を楽しむ」ってよく聞くフレーズだし、自分自身も能天気(愚鈍)な性格だし、いつでもどこでもなんでも楽しめるっていう絶対の自信もあったのですが、……あったのですが…。
自分は、楽しむ能力より苦しむ能力のほうに長けているのではないかと思いました。もっとあざとく言うと苦しむふりが上手いといったほうがいいのかな。顔が…顔がおもしろいんですよね、どう考えても。2文字で言うと簡潔に「ブス」ということになりますが、わたしのファニーフェイスというかユニークフェイスというかパニックフェイスが輝ける持ち場は「苦しみ」以外には恐らくない。または、笑顔の素晴らしさではとても皆に太刀打ちできず、酸素不足に歪んだ苦痛の形相に、唯一無二でいられる活路を見いだそうとしているのかも(わたしはゴールの泣き顔が異様に汚くてランニング雑誌に載ったことがある)。
とにかくレース中ですら、自分にしかできない表現はどこだ、と居場所を模索している自分の姿に、深刻な障害というか、制作道場の後遺症を見ました。そして見つけた答えが「自分の苦しみで皆を笑わせたい」って……どこかで聞いたと思ったら、道場が始まるときにも似たようなこと言ってた。しかし、「自分の苦しみ」がまさか「顔」に収束していくとは思いませんでした。顔芸で笑わせるっていよいよですが、「自分の苦しみで皆を笑わせたい」発言の尊大さは我ながら噴飯ものだったので、顔かよ、っていうオチがついてよかったです。
あと、「苦痛を楽しむ」よりも、「苦痛」は真っ向から「苦痛」として味わってなおそれ自体にエクスタシーを感じるというのがさらに粋な在り方なのではないかと思います。今後もわたしがマラソンを続ける動機がいるのなら、その境地まで至りたいです。なんだかんだ、2年連続のリタイアはやっぱりショックで、走り続けるモチベーションを見失っていたのですが、今大会の完走率は34.1%(前回26、9%)と決して高くはなかったので、それを慰めに来年もう一度……出るのかな。
今回のレースでは、開始早々スズメバチに刺されたのがクライマックスでした。あっ、山下さん! と思いました。倒れたりしたらドラマチックだったのでしょうが、肉が分厚くて深部まで針が届かなかったのか、おびただしい量の汗とともに毒素が排出されてしまったのか、痛みは長く続きませんでした。……山下さんに刺された患部は、ずっと治ってほしくないなあと思います。そして、いつだれに刺されても正しく反応できるよう贅肉を削ぎ落とさなくてはと強く思いました。
一方、ハチ側の心情を考えると、刺されるようなことすんなよ、というのが当然のお話で、なんとも申し訳ない限りです。山下さんは以前から「本来学芸員は表に出るべきではない」とずっとおっしゃっていて、赤ペンをつけることに対する危惧も常々漏らしておられました。作家に意見することに激しく抵抗されていた山下さんをわたしのわがままで引っ張り出すことになってしまいました。本当に心労の絶えない一ヶ月間だったと思います。確実に姥捨て山の登山道を一歩進ませてしまったと思う。次はわたしがエイドをひらくから、そこでゆっくり休憩してくださいー! と言いたいし、山下さんがいつか頂上に行かれることを考えただけでわたしは発狂しそうで、願わくば山下さんには姥捨てレースをなんとかリタイアしてもらいたいのですが、いっそ関わらないことが何よりの命休めになるのだろうなあ、とも……。本当にたくさんご迷惑をおかけしました。山下さんだけでなくチーム+zenの皆さんにも、もっと他の皆さまにも。お騒がせしてすみませんでした。それでもわたしはつるつるぴかぴかで、どうしよう? 戒めに、ネット動画を見ながらコンビニのお菓子を暴食することで荒もうとしています。
「若木くるみの制作道場」、一ヶ月間走り続けてブスな作品もたくさん産んでしまいましたが、どうあれ、これ以上はなかったとやっぱり思うし、ブスな作品ほど忘れられないというのも本音です。
小国は、善三美術館は、山下さんは、毎朝、一日をこじあける勇気をくれて、わたしもまた渾身の「押忍」で一日一日を終われました。最高の道場を用意していただきました。アイディアが出ず、もはやここまでかと思ったことも何度もありましたが、なんとかリタイアせずに日々をつなげたのは、皆さんの支えがあったからです。自分の実力以上の展覧会ができました。ただもう感謝あるのみです。ありがとうございました。
「他力本願寺」で山下さんがしたためた『くるみちゃんがビックになりますように。
そしてビッグになるきっかけとなった善三美術館が大注目を集めますように。』
というお願いが現実のものとなるよう、早く新しい寄生先を見つけたいです。(山下さん以上なんてない)
制作道場の畳の張り替え。
足跡が宙を滑っていきました。
なんとなくまだ地に足のつかないような気持ちで最後の日記を書きました。嘘みたいに楽しかった毎日ですが、「楽しい」だけではきっとすぐに忘れてしまうので、苦い記憶を掘り起こそうとして失敗。全部楽しかったんです。忘れたくないけど、日記を読み返す勇気はなく、「恥ずかしいよ〜読み返せないよ〜」と言い合った山下さんがもう隣にいないことがさみしいです。
最終日に作家の友人たちがつくってくれたゴールテープを掲載して終わりにします。
繰り返しますが、皆さんのおかげで完走できました。
幸せなゴールです。
ありがとうございました。
作 庄司朝美、麻生知子、武内明子(と皆さまからの寄せ書き)
明後日、六甲ミーツアート、スタートします。
若木くるみ
「前向きな後ろ向き 9月4日 三夜明け」への赤ペン
---本日は長すぎるので学芸員赤ペンも独立---------
ふぅ、、、姥捨て山から下山してきました。
意外と近くにあるんですね。知らなかった。
今日は赤ペンがあれこれ言うべきではないような気がします。くるみちゃんの日記が全てではないでしょうか。くるみちゃんありがとう。盛り上げてくれたワタリドリ計画、庄司さんありがとう。最後まで応援してくださった皆さま、ありがとうございました。
振り返ると、朝は劇的気分を盛り上げる土砂降りに始まり、ゴール時にはついに日も射すという、天気までも演出に加担してくれた最終日。あれから1週間たとうとしている今でも、思い出しても涙が浮かぶ感動のゴールでした。
ところで今日(7日)、息子の小学校の運動会だったのですが、子どもたちが全力で走ったりがんばったりする姿はどの子もいちいち感動的で、リレーを見ては泣き、組体操を見ては泣きしてきました。食が細くなって以来すっかり涙腺もゆるくなっちゃったみたいです。そしてふと考えました。くるみちゃんのゴールの感動と運動会の感動は別なのかしら。一緒なのかしら。
美術と運動会とは別物です。これ(芸術の領域)についてはいろんな方が長い論文で証明してくれているはずです。でも、そのときの心の動きの違いについて書いている人はいるんだろうか。美術を見て沸き起こる感動と、運動会を見て沸き起こる感動は別の種類のものなのだろうか。美術専用の感動ってあるんだろうか。
私は思います。毎日毎日の小さな心の動き、例えば、朝日がまぶしいとか、空気が冷たくなったとか、ご飯の炊けるにおいがしたとか、道端に小さな花が咲いていたとか、今日は遠くの山まで見えたとか、あの子と目が合ってうれしかったとか、漫画読んで泣いたとか、雨のにおいがしたとか、そういう小さな心の動きが心の引き出しの中にはたくさんたくさんしまいこまれていて、作品を目の前にしたときに、その引き出しがぱーっと開いて、様々な物が絡み合って、そのときの様子や空気の感触まで一気に立ち上ってくるのではないかと。つまり、美術を見て沸き起こる感動は、決して美術専用のものではなく、普通の毎日の小さな感動(あるいは大きな感動)の積み重ねなのではないかと。心の引き出しをどれだけたくさん、どれだけ深くまで開けてくれるかが、その作品の持つ力なのではないかといつも思っています。中には分類もせずに、気づかないうちに引き出しにしまわれているものもあるでしょう。そんなものが複雑に絡み合いながら立ち上ってくるのが想像力の源なのではないでしょうか。
運動会でがんばる子どもを見ても、くるみちゃんのゴールを見ても、きれいな夕日を見ても、私の心の引き出しはたくさん開くのです。むしろ、くるみちゃんのゴールは、芸術がどこか遠い殿堂にあって、感動するには黄金の引き出しを開けなくちゃならないものではなく、芸術は作家にとっても見る側にとっても日常の延長の中にあって、毎日使っている引き出しで感動するものだということを、改めて気づかせてくれたように思います。
結局長くなっちゃう赤ペン、長くなりついでにもう一つ。
くるみちゃんの後ろの顔について、私はこれまで、前の顔は当然自己(くるみちゃん)の象徴で、後ろの顔は他者(あるいは別の人が見たくるみちゃんのイメージ)の象徴だと思っていました。でも前後の顔は渾然一体だというくるみちゃんの日記を見てハッと気がつきました。
そもそも「これこれこうだ」と言葉で描き出せるような自分自身なんてものはなく、他者とのかかわりの中で、その中間に立ち現れてくるものこそが自己なのではないか。世界の中に放り込まれている私たちは、さまざまな人やものとのかかわりの中で、はじめて自分が何を考えているのか、自分がどんな人間なのか、そんなことがぼんやりと浮かび上がってくる。しかしそれをしっかり言葉で救い上げようとすれば、その瞬間には、そんな自己なんていうものはふたたび何が何なのかわからなくなってしまう。そもそも最初からそんなものがあったのかということすら判然としなくなってしまう。
くるみちゃん自身が言葉でこういうことを表現しているわけではないと思いますが、作家の感性が「自己」のあり方を直観し、そんな世界のあり方、世界の中の自分というものを表現しているのだなと感じました。
それなのにあんなにおもしろいってどういうこと!?ですよね。恐るべき麻薬です。
さて、制作道場反省日記もいよいよゴールとなりました。
これまで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。
もう1回ずつ、くるみちゃんと私が全体を振り返って幕を閉じることとなりそうです。
もうしばらくお付き合いください。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
前向きな後ろ向き 9月4日 三夜明け
なかなかまとまった時間をとれずにいましたが、これから腰をどーんと落ち着けて日記を書きます! 巨編ですよ!!
ここ数日、文章を満足に校正しないまま日記のアップを続けてしまって、もうそうなると自分は一体何を口走ったんだかこわくて読み返せず、新たな記事にも立ち向かえない悪循環に陥っていましたが、ついさっきお慕いしている学芸員さんからメールがあって、日記を誉められ元気になりました。
いただいた感想を無断転載します。文字数稼ぎたいとか思ってないです。
「ブログ見た!アップミスワロタ。
学芸員さんのやりとり面白いねー。会期中の疲れ苛立ちも生々しくでてて読みこんじゃいました。やっぱり人の棘のある言葉とかって蜜の味なんだな。どう転んでも陰気な展示にならないのはくるみさんの底なしのとこだねー。学芸員さんもおっかなそうだけど真摯ー。いい人と組めてよかったのう。
改めてお疲れ様でした!」
棘のある言葉は蜜の味、か……。
山下さん、おっかなそうに見えておっかないですよ。山下さんはよく何かしらに毒づいているのですが、いつか「ゆうべ友だちから『山下さんの毒はオーガニックな毒だから』って言われたの〜」と、うれしそうにおっしゃっていたことがあって、だからなんだよ。わたしは背筋がぞっとしました。まるでオーガニックであることが免罪符のように微笑んでいらっしゃいましたが、普通に考えてナチュラルな毒って最凶だろ。毒が農薬の類いならまだしも、山下さんの内側からこぼれる毒は天然な分たちが悪いと思う。無農薬栽培で研ぎすました山下さんの鋭利な棘に刺されてわたしはいつも傷ついていましたが、傷口から入った猛毒が蜜に変わっていたのだとしたら良かったです。
って超うそ。ほんとは、メール来てすぐ「山下さんは全然おっかなくないですよ!」って返信してるのに、いざ日記となると「山下さんおっかない説」を強化するようなことを書いてしまいました。
どうしてこと山下さんの話題になるとわたしは事実と反することを言ってしまうのだろう?
昨日の日記に書いた、背中にゼッケンをつけた理由にしても本当はもっと単純で、
「山下さんといっしょに最後の道場を駆け抜けたい。」
その一心から生まれたアイディアでした。
細かな砂利に足をとられながら道場の前を行ったり来たり行ったり来たり。頭に浮かぶのはこの一ヶ月間、二人三脚でいっしょに七転八倒してくれた山下さんの姿いろいろでした。
タコに絡まってもんどりうっていた山下さん、鍋が滝の階段を登る途中で「もう動けなーい」とすがりついてきた山下さん、トラバターで腕が疲れて誰より早くあきらめていた山下さん、ルームランナーの上で息も絶え絶えにカルタを読み上げていた山下さん、ルンバの写真で抜け殻だった山下さん、父の背中の物語に涙ぐんでいた山下さん、人魚が不気味だったというクレームに敢然と立ちはだかってくれた山下さん。
山下さんと猛スピードで突っ切った制作道場の日々がぐるぐる脳裏を巡りました。
とりわけ、階段で立ち往生したり、駐車場で少しでも歩かず済む場所を探したり、食が細かったり、食が細ってガス欠になってワナワナ震えていたお姿が印象的です。体力のない人って大変なんだなあと思いました。
今日は心配しないでください! わたしが、山下さんを背負って走りますから! そんな気持ちでゼッケンをつけたいと申し出ました。
なんか……体力のない山下さんをおぶって走るって………。
う、う、う、う、う、…………姥捨て山?
山下さんが描いてくれた顔。ほうれい線のリアリティ。
降りしきる雨は容赦なく、姥の寿命は一瞬で尽きました。
姥を捨てるつもりはなかったのですが…。いつの間にかのっぺらぼう。
姥捨てとか言って、わたしは+zenメンバーとの絆まで捨てる気です。
以下、+zenの面々、梅木さん時松さん江藤さん。みんなまとめて姥捨て。
....梅木さん
....時松さん
....江藤さん
梅木さんの顔は描いたそばから溶けてしまってホラーだし、時松さんの定型顔も舌がチロンで人を小馬鹿にしているし、江藤さんに至っては斜視に加えて虫歯まで描く芸の細かさ。汗と雨がそれら全部を気持ち良く消してくれましたー。
しかし+zenとの悪意のプロレスも今日が最後です。「みんなからの気持ちだよ!」と、エイドに並んだ大量の食糧を見て、思わずしんみりしました。どう考えても消費カロリーを摂取カロリーが軽く超えてしまう量。
手作り野菜に高級ケーキ
手作りジュースとジャンクフード
ストレス社会で闘うあなたに
大好きなこんにゃく寿司が3Pも
ゆで卵やうまい棒に手をのばすと、スタッフの梅木さんが微妙な顔でこちらを見てきます。気味悪く思いながらもおいしくいただいていると「もそもそ、ぱさぱさして食べにくいかと思ったのに…」と悔しそうにされていました。食の太さナメんなよ。意地悪に気づきもしませんでした。エイドの充実した物量がそのまま愛の大きさに比例している気がして舞い上がっていましたが、とんだ誤解でした。現実はもっとヘビーです。こんにゃく寿司も、こんにゃくゼリーみたいに喉に詰まらせて死ねってことなのかな……。
これ全部わたしひとり分。この後も食糧はどんどん増えました。顔を描いてもらっている間が補給タイムです。わたしは体脂肪のおかげで、本当は8時間くらいなら何も食べなくても走れるのですが、食べ物を前にするとサービス精神に拍車がかかって、せっせと胃にカロリーを打ちまくりました。マラソンというよりフードファイトでした。
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みんなの顔、いいですよね。自信を持って走れました。疲れてだれそうになる時は、背負っているゼッケンの存在が気持ちの支えになりました。山下さんに言った「みんなと走りたいんです」は表向きの理由で、本音は「わたしがみんなのぶんも走ってやるよ」という高飛車なものだったのですが、結局いい子ぶって公表した表向きの理由に裏の自分が追いつかれてしまいました。ださかったです。悪ぶってすかしてんの?
でもわからない。山下さんのコメントに、何か違和感もあるんです。
『前向きに走るときには「若木くるみ」として、後ろ向きに走るときには「顔を描いてくれた人」として走るようになった』
確かにわたしは「若木くるみ」として前向きに走っていたし、「描いてくれた人」として後ろ向きに走った、ように見えたかもしれません。でも、どちら向きで走っても顔はいつも両面にあるわけで、そうすると「若木くるみ」で前向きに走っているとき「描いてくれた人」はお休みしていたわけではなく彼も後ろ向きで走っていたことになります。「描いてくれた人」が前向きのときは「若木くるみ」が後ろ向きで走っていた。…わかるかな。だから、わたしとしては、ただの「若木くるみ」なんていないっていうか、もう本人の存在すらなくて、本人じゃなくて半人なんです。「若木くるみ」が主人公なんじゃなくて、後ろの人もメインなんです。こういうこと書くと病気だと思われますか? でも、走っているときは本気で後ろの人と一心同体で、右手、左手でバトンリレーをしていたけれど、後頭部が主人公のときは左右反転するので、自分としてはずっと利き手でリレーをしているつもりでした。
前向きで走る(右手)
後ろ向きで走る(左手)
だからもう、前も後ろも右も左も、便宜上の表現に過ぎないと思ってください。自分はあやういゾーンに入りかけているのではという自覚もあるのですが、マラソンで培った己を欺く技術(この苦痛は現実じゃない、等)と、後頭部に輝くそれぞれ人格を持ちかねない完成度の顔との相乗効果で、「おれがあいつであいつがおれで」な混乱が起きているのだと思います。
リレーの往復回数はホワイトボードにクラフト紙を張って、黒いクレヨンでチェックしていたのですが、模造紙がなかったせいで仕方なく張ったクラフト紙の薄茶色が、だんだん自分の肌に思えてきました。
小国で過ごしたできごとをひとつ浮かべて印、またひとつ浮かべて印。 自分の肌に、なにひとつ忘れまいと入れ墨を入れているような、そんな錯覚。
…この手の感傷的なフレーズは日記に書くことを想定して走りながら暇つぶしに考えました。それが黒い印で埋まっていくクラフト紙が今度は頭皮に見えてきて……。
毛穴からひゅんひゅん踊る毛髪たちは、後頭部からいつか伸びていく未来を夢見ているようでけなげでした。思い出の入れ墨を打つよりはそっちのほうがよっぽどリアルな感覚だったので、わたしは掲示板に増えていく毛穴の数が髪を生やせる希望とイコールだと決めて走りました。
頭皮に逃避
お客さんにもたくさん描いてもらいました。消えた顔とセットでどうぞ。
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古川さん
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たけぐちさん
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宇野さん
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ぽっぽさん
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鈴木さん
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武内さん
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堀川さん
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松野さん
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坂口さん
坂口恭平さん!
ぎゃあー
数年前から、「くるみちゃん坂口恭平読んだ? 絶対すきだよ」と複数の友人知人からおすすめされていた作家さんが坂口さんでした。ご本人に、でもまだ読んでないって申告できてすっきりしました。
午後、東京から熊本空港に到着したばかりという超多忙の坂口さんが小国の坂本善三美術館までいらしてくださった経緯は以下の通りです。
石膏像の日に見えたお客さまが道場を気に入ってくださって「これは恭平に見せんといかんなあ」とつぶやいておられたのを聞き逃さず、石膏像に成り済ますことも忘れてわたしは思わず叫んだのでした。「坂口恭平さん大ファンですー!!!」
本当はお名前と活動を少し存じ上げていて、好意を抱いているくらいだったのですが、これから絶対大ファンになるからどうか連れてきてくださいと懇願しました。そしたらスタッフの江藤さんが本当に坂口さんの大ファンで、わたしは江藤さんにいただいた一生かけても返せないほどのご恩をチャラにする大チャンスと思って、どうしても坂口さんに来てもらいたいと切々と訴えました。
そのようにして拉致も同然で連れてこられた坂口さんでしたが、いやな顔ひとつせず顔まで描いてくださって、胸の高鳴りを抑えてスマホの画面を覗きこんだらその色味がすごかった。興奮して鼓動が爆発しました。わたしの走っているときのゾンビ顔が見事に再現されていて、やだあー、天才ー。もちろん心で言いました。
坂口さんご自身のお心を表す顔色ではないことを願うばかりです。
そして坂口キョーヘイゼッケンをつけてくださり、わたしは口から泡を吹きました。意味がわかりますか? わたしは今から坂口恭平を背負って走るんですよ! あまりに恐れ多くて「今がわたしの人生のピークです!!」と絶叫しましたが、わたしはこのフレーズを今までの人生で10回は使っています。便利な言葉です。
黄色いバトンを握りしめた左手をピンと掲げて「坂口、行って参ります!」と選手宣誓。「逝って参ります」と脳内で変換してスタートしました。
後ろ向き
後ろ向き。
坂口さんとそのお仲間も見守ってくださいます。
後ろ手でバトンパス
左手から
右手へ前向き。
バトンがどちらの手にあるかで進行方向を見分けてください。
バトンを持ち替えて、後ろの自分と前の自分とがリレーする、というアイディア自体、坂口さんの躁鬱にヒントを得て生まれたことをめちゃくちゃ言いたかったけど言い出せなかった。言ってぶっ殺されたかったです。
....
坂口さんが顔を描いてくださったのが4時すぎ。
制限時間は閉館と同時の5時までです。ゴールの仕方を考えていなかったわたしは焦りました。前向きにゴールするのか、後ろ向きにゴールするのか。顔を描いてくださった方全員のゼッケンを持ってゴールしたいとは思っていたけど、後ろの顔は坂口さんのままでいいのか? いいけどねとも思いましたが、さすがにそれはないという気もしました。坂口さんでゴールって、後ろのパワーが強すぎる。もう若木いらねーよってなっちゃってもそれはちょっと…。坂口さんからまた別の方にバトンをパスするためには後ろの顔を消す必要がありましたが、このとき不運にも雨はあがっていて、わたしは汗で坂口さんをかき消そうと、熱い湯を飲み下して必死で走りました。
「次の顔、だれですか!? ゴールはどうしよう!?」
坂口さんの顔が消えたという合図でエイドに飛び込み相談しました。
最後はスタッフや画家の友人たちで一筆ずつ描くのかなと思っていましたが、山下さんが最終ランナーを引き受けてくださいました。
ぱさぱさ攻撃をしかけてきた梅木さんが感極まって泣いてた。梅木さあん
背中には、全員のゼッケンを重ねて留めます。分厚いゼッケンの束はずっしりと濡れそぼって、重量以上に重く感じました。
前と後ろでくるくるまわりながらゴールすればいいのかな…。確信が持てず皆に問うと、まわりながらゴールする派と、全力でゴールしてほしい派に分かれました。けれども後ろ向きで全速力を見せるのは難しい、しかし前向きでゴールするのではこれまでのすったもんだ全部がなにそれってことになってしまう。後ろに顔ある必要ないじゃん。
「ゴールテープはつくってあるよ! テープ切ってゴールするの!」
友人たちが、ゴールのための小道具を何か準備してくれているそうでした。じゃあ、背後でゴールテープかまえてもらっといて、それで後ろ向きに走ってぼよーんと一回テープに触れるから、そっから急いでテープを前のほうに持ってきてもらって、最後は前向きにテープを切る、ということでまとまりました。
準備が出来ました。
制作道場がはじまったときと同じ、この顔。
今回の滞在展示のため善三美術館に下見に来たのが6月です。制作道場をすることに決まって、柔道着を借りてきて、顔を描いてもらって、チラシ用の撮影をして、それはほんの3ヶ月前のことなのにとても遠くに感じられました。そのときも山下さんにうしろの顔を描いてもらったのでした。山下さんは「わたし美大とかじゃないもん」とぼやきつつも、様々な絵画の参考資料を手にこの顔をつくってくださったのでした。
思い詰めているような、驚いているような、凍えているような。見開いた瞳孔と、かたくむすんだ真一文字の口元。表情がないことがかえって豊かな表情を喚起させるようでした。
でもけっこうまぬけだとも思う。
ラストランです。
エイドからバックしてスタートを切ったら、いつのまに。
右手に垂れ幕がかかっていました。
これが、件のゴールテープか! それは画用紙を繋ぎ合わせて長くしたものでした。一枚一枚が制作道場の思い出になっていて、最終日に総集編をやりたいと言ったわたしの没案が友人たちの手で叶えられていました。
行っては戻り戻っては行き、
戻っては行き行っては戻り。
後ろ向きのわたしのペースが落ちるのを利用して、横目でちらちら眺めました。人魚も仏もタコもトラも父も母も、全員揃っていました。
最後まで応援してくださっているみなさんに、「ゼッケンちゃんとつけてます!」アピールをしたくて、背中でゼッケンの束がはためくよう肩甲骨を過剰に動かして腕振りしました。でもあんまりだれも気づいていないようでした。
感動せよと言わんばかりの総集編演出に、わたしは気持ちをどう返せばいいのか。
使えるアイテムは目の前の掲示板だけでした。
「あ」「り」「が」
埋まりきらなかった掲示板の余白に一文字ずつ殴り書きを投じました。
「ありがとう」を書き終えたところであと5分も残ってしまって、かといってもうただの印チェックには戻れず、やむを得ず「善三美術館」にチャレンジしましたが画数が多くて頓挫しました。「善」1文字書くのに3往復かかりました。
あと1分!
ゴールできる。
「ゴールできない」初日から始まって、30日間、ゴールの景色なんて想像できた試しがなかったけれど、もう、今、ゴールします。
背中でぼよーんから、その反動で前へ。
ゴ
ゴ
ゴ
ゴール…
ゴールテープを切るとき、ちゃんと切れるかこわかった。
クラッカーも鳴り響いた。
拍手が沸き起こった。ゴールしました。
ありがとうございました
ありがとうございました! 後ろの顔でも。
感謝の言葉の次に速攻「感動に巻き込んですみません!」と、集まった方々への謝罪の言葉が出てきて、自分の後ろ向きが健在であることに安心しました。
友人たちが手作りのメダルをわたしと+zenチーム全員に用意してくれていて、メダルを裏返すとそれぞれにねぎらいのメッセージが記されていて、全精力を傾けて我々を泣かそうとしているようでした。あれからメダルがどこにも見当たらず何が書かれていたかもちっとも覚えていないのですが、うれしかったことに変わりはありません。
江藤さんの姿が残っていない。坂口さんに夢中だったのかな……。
山下さん、何もかも本当にありがとうございました。
杉先生がゴミ拾いしてくださっている…
ここでも傍らでクラッカーのゴミを拾ってくださる坂口さんのお姿が……。土下座したい。
このあとだれかがわたしから湯気がでていると発見して話題になった。
人間地獄蒸しです。
この場にいる方いない方、おつきあいくださってみなさん本当にありがとうございました。おつかれさまでした。
打ち上げで、今日走った数の集計が発表されました。
往復830回。
じゃくじゃく言う砂利の音と、足裏の感覚とを忘れません。
髪を生やす間もなく、来週から六甲ミーツアートというイベントに参加します。
9月14日から11月24日まで。無休。
会期中毎日会場にいます。
よろしくお願い致します。
前向きな後ろ向き 9月3日 二夜明け
今、手伝ってくれた友人から小国での滞在について「人生でも指折りの夏でした」とメールがきて、とっさに「指折りの夏」って企画アイディアに使えないか考えている自分がいました。ひと呼吸置いて、もう制作道場は終わったことを思い出し、その止まった呼吸の瞬間自分が死んだ気がしました。
あわてて深呼吸をして、生き返った。自分の深呼吸の鼻息の風速にたじろぎました。
前回、Tシャツに染みついた絵の具の話で終わってしまいましたが、もう何を書きたかったか思い出せません。
選択肢1
顔は消えても、体に痕跡が残る。思い出は完全には消えない。
選択肢2
顔が消えると、洋服にシミが残る。他者から見れば薄汚い衣装も自分にとってはたからもの。
選択肢3
後ろの顔が流れ落ち、前面にも浸食してきた。うらおもてが融解している。自分はもうひとりじゃない。
…ここまで書いたところで下書き保存したつもりが間違って公開してしまって、いちばんやばいところで何人かの目に触れることになってしまいました。
しかもそのタイミングで山下さんが前回記事に「感動巨編に続く」という煽り文句を載せていて、なんとも人を喰った短編になってしまいました。
選択肢のくだりはギャグです。特におもしろい解答例も思いつかなかった上、書きながらどうも薄ら寒かったのは、美術作品としてどうかとか、意味付けがどうとか、そんなことはどうでもいいとはっきり自覚したせいだと思います。
わたしはせっかく描いてもらった顔が消えていくのがただせつなく、行き場のないやるせなさでいっぱいでした。それぞれ異なる表情をいっしょくたに汚れに変えてしまう雨に憤ればいいのか、当初「たくさん顔を描いてもらえる!」と雨天を歓迎していた自分の自己中心的発想を呪えばいいのか。
わざわざ後ろ向きに走りたいからこそ、前にも進んでいたのに、後ろのわたしがいなくなっても前の自分は消えないというのは許せない気がしました。顔が消えたとき、わたしは何を思って走ればいいのだろう。皆の思いの成果がTシャツの黒ずみだなんて残酷すぎる。
ではわたしは、ゼッケンを背負えばいいのではないかと思いました。顔を描いてくれた人の名前を背中につけて、いっしょに走る。
背中のゼッケンが溶けた顔の絵の具を受け止めてくれるなら、それは美しいことのような気がしたし、それぞれの名前を背負って走ることで、前向きのわたしの存在も肯定されるように思いました。
また、書き終わらなかった…
すみません続きは山下さんが書いてくれます。
---本日の学芸員赤ペン---------
いえ、書きませんよ。そんなバトンは受け取れません。
みんなが読みたいのはくるみちゃん目線のゴール。制作道場初日のタイトル同様、なかなか「ゴールできない」ですねー。期待も膨らみますねー。
さて。
後ろの顔は誰だったのか。
走りながらくるみちゃんは私に言いました。
「山下さん、私顔描いてくれた人の名前のゼッケンを後ろにつけてみんなと走りたいんですけどどうですか。」
そもそもくるみちゃんは、後ろに顔が描かれると、「私顔見なきゃ!どんな顔の人か!」と、その顔をデジカメで確認してから「その人として」走っていました。初めから後ろの顔の人と共に走っていたのです。それが誰なのか、もっと明確に目に見えるようになったのは、その顔を描いた人の名前を書いたゼッケンをつけるようになってから。前向きに走るときには「若木くるみ」として、後ろ向きに走るときには「顔を描いてくれた人」として走るようになったのです。
それは、くるみちゃんが走りながら湧き上がってきた思いによるものでした。ベタかもしれないけど、感傷的に過ぎるのかもしれないけど、そこに思いを込めたいのならそうすればいいのだ。みんなと走りたいと思うならそうすればいいのだ。だいたい、苦しみながらも走り続ける姿を見せるということ自体が十分ベタだし、はたしてそれは美術なのかという問いは一考に価すると思うけれど、走り続ける姿によって何かを伝えることができると思うならそれは表現なのだ。
右手にバトンを持ち、「ジャッジャッ」と音を立てながら砂利の上を前向きに走る。正面に設置されたボードにチェックを入れる。バトンを左手に持ち替える。また「ジャッジャッ」と音を立てながら今度は後ろ向きに走る。砂利の音が消えるところまで走ったら、バトンを右手に持ち替えて再び前向きに走り出す。完全に言葉で記述できる行為です。でもどこにたどり着くわけでもないこの無意味な行為の繰り返しが、見ている私たちの心の何かを確かにかき立てる。「美術作品としてどうかとか、意味付けがどうとか、そんなことはどうでもいいとはっきり自覚した」とくるみちゃんが書いているように、そこに立ち現われてくるのは、決して意味を排除したミニマルな行為ではなく、息を荒げながら、足を引きずりながら、ずぶぬれになりながら、それでも目を上げて走り続ける、生な人間の姿なのです。それが私たちをどうしようもなく感動させるのです。がんばれと言わずにはいられないじゃない。
もちろん、この作品は確かに美術です。でも後ろ向きの象徴がどうだとか言ってる場合じゃないのです。だって目の前で人ががむしゃらにがんばっているんだもの。
くるみちゃんがこの日休憩したのは、顔を描きなおす間だけ。その間にマラソンのエイドのように水分や栄養分を口に放り込みます。
そんなにがんばっている人のためにエイドステーションに並んだ食べものは、アクエリアス、バナナ、チョコレート、梅干、こんにゃく寿司(いなり寿司の揚げがこんにゃく。わさびとシソでおいしい。)、うまい棒、ロールケーキ、ナッツのケーキ、モチキビ(モチモチしたとうもろこし)、カップうどん、カップ春雨、あったかいお茶、ゆで卵などなど。善三美術館スタッフの心づくしです。むせるだろうと思って冗談で買ったうまい棒をまさかおいしそうに食べるとは!
さあ、ゴールは見えてきたのか。
感動巨編いよいよ完結!か?
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子