前向きな後ろ向き 9月2日 一夜明け
最終日は、なんと坂口恭平さんが制作道場を見に来てくださいました。
と、昨日の打ち上げで「坂口さんの話題を真っ先に日記に書きます宣言」をしたら、関係者全員から恐ろしくつめたい目で見られました。「今日のこの大感動のゴールそっちのけで開口一番『坂口さん』ってどういうこと!?」
有名人に会えてうれしかったんです。
人でなしですみません。ミーハーなんです。
最終日をどんな企画にしようか、はじめに考えていたのは『若木くるみ総選挙』でした。一作ごとにキャッチフレーズをつけてポスターを展示するつもりだったのですが、そのアイディアが「振り返り企画で一日埋めたら新しいアイディアをひとつ考えなくて済む」という非常に後ろ向きな動機だったので、考え直すことにしました。ダイジェストだと29日分しか揃わないし、6回に及ぶ中学生ワークショップの扱い方も難しい。わたしは最後まで、一日一案、あたらしい取り組みに挑むべきではなかろうか。徐々に周囲からの反響も増えて、生半可なことでは皆に許されないという切迫感、責任感もあったのですが、それ以上に何より自分自身が「やりきった」と納得できる方法でしか終わりたくない。いつの間にか、そんな誠実な気持ちが芽吹いていました。
周りの評価ばかり気にして生きてきたわたしにとって、自発的な衝動が生まれたことは驚きの事件でした。この道場でずいぶん鍛えられていたんだなあ…。我ながら目覚ましい進歩だと感心しましたが、いつになく前向きになっている自分への何かおさまりの悪さも覚えました。突然意欲的になられたところでとても信じきれないというか、今まで怠け続けてきた自分の前科を考えると、「またまた〜」なんて肩を叩いて一笑に付したいような、黙って寝とけって吐き捨てたいような、疑念がこんこん湧いてきます。そしてそれはまた、「わたしらしさ」が損なわれることに対する必死の抵抗でもあるのでした。このわたしが前向きになっては、「自信のなさ、自身のなさ」に端を発した制作道場の根幹が揺らいでしまう。これはネガティブ名人として道を歩いてきた、というより川を流されてきた自分のアイデンティティ喪失に関わる大問題です。
前向き、後ろ向き、前向き、後ろ向き、前向きな後ろ向き、後ろ向きな前向き。
この一ヶ月、窮地に陥ったときは、いつも後頭部とマラソンで乗り切ってきました。
後ろ向きの顔に、前を向いたつま先。
制作道場の集大成は、前向きのわたしと後ろ向きのわたしとが交代で走ることにしました。
9月1日、朝の訪れ。
いよいよ、ここまできた。どきどきが波打ちます。
美術館に行く前に後頭部を剃って、画家の友人たちに顔を描いてもらいました。わたしの正面のこわばった顔を見て、口々に「くるみちゃん緊張してる? 最終日だもんね!大丈夫だよ!」と労られましたが、本当は胸の鼓動の正体は「坂口恭平に会えるかも!」から来る緊張でした。しかし事実を口にすると友人たちの士気が下がるので「レース前みたいな緊張感だよ……」とかほざいて皆の同情を買いました。
スタート前のストレッチ
後ろの顔が、見えますか
午前9時、号砲は山下さんの手で。おもちゃのピストルが、「スコッ」と言いました。
コースは美術館の前の砂利道です。その距離片道20m。前向きで駆け出して、行き止まったら後ろ向きでスタート地点まで戻ってくる。延々その繰り返しです。
前向きで走って
掲示板にチェック
そのままバックします走者は後ろ向きのわたし。
前向きと、後ろ向きとのリレーマラソンです。
後ろの顔が消えたら待機している画家チームやスタッフのみなさん、お客さんにお願いしてその都度顔を描き直してもらいました。叩き付ける土砂降りが、絵の具をあっという間に洗い流していきます。
後ろにもうひとりの自分があるために周りの方の手をさんざん煩わせてしまいました。消えてしまうと知りながら描いてもらった数々の面は首筋をつたって白いTシャツに染み、みすぼらしく淀んでいきました。
……すみません、書き終わらず。
「長くなるなら分けて書いてもいいんじゃない? そのほうが読者をひっぱれる。」
道場主の入れ知恵です。読者とかいるのか?
さっさと終わらせたいですが、でも、もうあきらめて寝ます…。
失礼致します
---本日の学芸員赤ペン---------
きっと昨日の興奮冷めやらず、涙涙の日記を書いているのではないかとうっすら期待したのですが、のっけから坂口さんと我々双方に軽く失礼な感じの書き出し。まあそのへんがくるみちゃんらしいといえばらしいのですが、もう28歳、いつまでも「らしい」で済ませていいんでしょうか。
・・・という意地悪を書けるのも最後の最終日。
くるみちゃんに有終の美を飾らせてあげたい。素晴らしいフィナーレを迎えさせてあげたい。美術館スタッフも駆けつけてくれたくるみちゃんの友人画家チームも、すべてはその一心で前の日の夕方から入念に打ち合わせし、当日も朝早く集合して、9時の号砲に向けて準備しました。開館時間の9時から17時まで8時間走り続けるという劇的な幕切れの演出としてこれ以上ないほどの土砂降りが、いやがうえにも大変さ気分を盛り上げます。
普段はやらないというストレッチを写真を撮るために行い、まるで競技大会のような緊張感。
いくよ、くるみちゃん。よーい、スコッ!
「マラソン」と「後ろの顔」という、若木くるみボキャブラリー中の最強コンビというべきこの作品は、美術館の前のほんの20メートルの距離を振り子のように延々と走って往復し続けるというもの。しかしそこに後ろの顔が登場することによって、単なる往復と意味が違ってきます。前向きに走るときは前の顔(若木くるみ)、後ろ向きに走るときには後ろの顔の人として、2人の人格が交互に走るのです。バトンを受け継ぎながら、行っては戻り、行っては戻る、終わりの見えない2人の交差。
例えば前向きな自分と後ろ向きな自分。例えば本当の自分と外から見た自分。例えば自由な自分と不自由な自分。例えば飛び立とうとする自分と誰かの何かを託された自分。
果たして2人は反目しあっているのか。それとも協力し合っているのか。運命共同体なのか。連帯責任なのか。
舞台装置の大雨が、見る見るうちに後ろの顔を流し去ってしまう。描いても描いても消える自分。それでも新しく生まれ続ける自分。果たして本当にそれは自分なのか。自分でなければ誰なのか。
次回感動巨編に続く!!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
前向きな後ろ向き 9月1日
ゴールしました。
明日、詳しく書きます。
応援してくださった皆さん、1ヶ月間本当にありがとうございました。
うしろ手の顔 8月31日
台風の暴風雨で散った制作道場のポスター。
今日は、去年善三美術館で展示した友人たちが来てくれるはずの日です。何日も前からスタッフ全員で台風警報とにらめっこして、東京からの飛行機が欠航しないよう願っていたのですが、汚泥にまみれたポスターが不吉でした。
今日も昨日に引き続き、庄司さんにうしろの顔を描いてもらいました。
閉じたまぶたは、「目は使わない」という今日の意思の表れです。
本日の企画、『うしろ手の顔』。
うしろのわたしが、うしろ手で自分の顔を塑像します。
正面の顔に触れ、指先で感じ取った凹凸を粘土で再現。視覚の情報に頼らず、触覚だけでかたちを探ります。
顎、唇、鼻、目、眉、額、耳。
手がみつけた情報を粘土にひとつひとつ伝えていきます。
うしろの顔は平らなので、頼りは正面の顔の凹凸です。
手の平、指の腹で、なぞったり包んだりして顔の造形を読み取ろうと努めましたが、いくら触ってもかたちが現れず苦心しました。
なぜかと思えばなんのことはない、自分の顔のつくりが平板すぎるせいでした。わたしは目から頬にかけての起伏がまるでない上、顔面中央では鼻が圧倒的な低さで鎮座しています。鼻のてっぺんと唇と顎に至っては、ほぼ同一線上で結べるというかなしい安定感です。彫りの深い外国人だったらかたちもつかみやすいのだろうと思いますが、ない凹凸を懸命にまさぐっているわたしの姿を美貌の彼らに見てほしいとも思いました。
粘土像は一度も目で確認せずに作業を進めるため、どこで終わればいいかわかりませんでした。観客の「もうやめたら?」のひと言で、迷いながら手を離しました。絵を普通に描くときですら完成を決められないのに、目を使わないで止め時を見極めるのは至難の業だと思いました。
4時間こねくりまわして、初めて振り向きます。
いびつな頭部でした。
薄い横顔は似ています。
うしろの自分同士
出来上がった粘土像は、思ったよりもずっと人間らしくなくてショックを受けました。
わたしは正しく写実できた気でいたのですが、わー、甘い!というのが正直な感想でした。途中段階で山下さんが「わたしこの像買いたい…」と珍しく好評価を与えてくれていたのですが、わたしは経過を見ていないからその顔はわからないし、絵も彫刻も、いちばんいいときはほんの一瞬なんだなあと思って悔しかったです。
出来上がりに納得できず、感覚を辿らず記憶と想像だけでもう一度顔をつくり直したいと山下さんに頼み込んで、再挑戦。
頬
目
鼻
眉
顎
「顔らしい、顔」。頭の中の自画像を粘土にぶつけました。
7分くらいいじくって、「出来た」と自信を持って振り向くと、そこにはより崩れた粘土の塊が。さっきの粘土像が失われた今となっては、奴にはちゃんと生命力があったように思い出され、また悔やみました。
自分の感覚を信頼できなかった自戒をこめて、父のそばに並べました。
たまたまそっくりだった緑色に因縁を感じます。
明日はいよいよ最終日です。
台風は消え、作家のワタリドリ計画も無事到着できました。
ラストは使えるものをすべて使って、ゴールしたいと思います。
---本日の学芸員赤ペン---------
「明日は後ろ向き(後ろの顔の正面)で粘土で自分の顔(前の顔)を作ります。」と宣言したくるみちゃんに、「それほんとにやりたいと思ってる?切羽詰ってんじゃない?」と詰問した私。
「目をつぶってやるのとどう違うの?」
「何で後ろでやるの?」
つまんないからやめろという意味でも、やる意味がさっぱりわかんないというわけではもちろんなく、何だか近頃企画の出も悪くなってきてる感じだし、ただ作りづらい後ろ向きでやる苦悩の姿を見せるだけだったら、鑑賞に耐えるわけでもない中途半端な像ができて終わりということになってしまう。その行為で何か立ち上ってくるのか。くるみちゃんの根底に何があるのか。うるさい教育ババアみたいに一個一個コンセプトの指差し確認をしたのです。
本来、そんなことするものじゃないのかも知れません。作家がいちいちコンセプトを説明する必要なんてないのかもしれません。むしろ私が納得したかったのでしょう。くるみちゃんが言葉を尽くして(庄司さんの助言に助けられつつ)説明してくれたコンセプトを聞いて、私の頭には一つのストーリーが浮かびました。
くるみちゃんの後ろの顔が象徴するのは外から見られたくるみちゃん像。前の顔が象徴する本当の自分は自分にしかわからない。後ろの顔とよく似てはいるが、別のものなのだ。でも自分にも本当の自分の姿がわかっているわけではない。後ろの顔(他からの評価)に至っては、自分では見ることもできない。しかも二つの顔は決して見合わせることはない。そんな中で、自分の本来の姿(前の顔)を手でまさぐり、その姿をがむしゃらに形にすることによって、よくわからない自分の姿の形を探したい。そしてそれを探りとった自分の姿として提示したい。
さて、このしょうもない陳腐なストーリーをどれだけ凌駕してくれるのか。
目を閉じて思索するくるみ像を後ろの顔に背負い、静かに制作が始まりました。
手で前の顔を探りながらその形を後ろ手に伝える。これまでにも感覚の伝達を作品にするという意味では、後ろの顔が感じた触覚を紙に描きとる作品を数多くやってきたけれど、今回はまず立体であるという点で大きく違う上に、自分では写し取るものはもちろん写し取ったものも見られない。しかも手が天地逆さになるという不自由さもある。
分類大好きで先入観と強力タッグを結びやすい視覚を絶ち、天地逆になることで普段の視覚情報から触覚が憶えている大まかな形の先入観の再現も絶ち、形を感じ取るのも作り出すのも「触る」こと一点に委ねられる。
制作を始めたくるみちゃんは手指の感覚に忠実に身をゆだね、先入観に走りそうなところを押し留めて一つ一つ手でかたちを探っていました。口と耳の位置。唇とあごの位置。鼻と頬のつながり。顔の輪郭のかたち。実際に自分では見たことのない耳の造形に至っては、自分が知っている分類や意味をなかったものにして、まるで初めて出会ったものであるかのように、指が触った襞の一つ一つの再現に忠実であろうとしていました。
そして、見ている側は、くるみちゃんが感覚に忠実であろうとしていることがわかるだけに、実際に現われてくる粘土の造形が視覚的にはズレていくことのもどかしさを感じます。しかし、そこにこそ、普段は見ることのできない、人間の奥深くに潜んで先入観に被いかぶせられている生(なま)の感覚を見ることができるのです。
芸術家は常に、そこへたどり着くことを、もしくはそこへたどり着いて得たものを生(なま)のまま地上へ現すことを目指しているのかもしれません。
私たちはいかにものごとを知ったつもりになっているのか。知ったつもりになって、目を向けることや感じることを忘れているか。何とか自分の生の感覚で探り採ろうとするくるみちゃんの姿と、いびつにゆがみながらも確かにくるみちゃんが感じたものが現われているこの頭像は、私たちの感覚をも揺さぶり呼び覚ましてくれました。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
石膏デッサンの石膏デッサン 8月30日
昨日から、今まで3回しか会ったことのない画家の友人が東京から来てくださっています。
わたしは友人が非常に少なく、この「画家の友人」という表現に関しても、「友人…って書いていいのかな?……知人?」と、今目の前にいる本人に聞いてから書きました。いつ友人になったっけ?と思われる恐れがあるからです。
制作道場が始まってからの一ヶ月、訪れた友人はわずか3人で、わたしの人脈は山下さんに気を使わせるほど乏しい。
というわけで、超貴重な「描ける」人材の登場に嬉々として、彼女をこき使う企画を考えました。
小国中学校から石膏像をいくつも借りてきました。
今日は、わたしも石膏像の一員になります。
庄司朝美さん。昨年友人になりました。
背面に石膏像を描いてもらいます。
絵の具がひたひた打たれます。
肩甲骨が胸のふくらみです。
石膏デッサンの石膏デッサン。
自分の後ろに描かれた石膏デッサンを、庄司さんをはじめとするお客さんにさらにデッサンしてもらう、というのが当初のプランでした。が、それより石膏像本人が石膏デッサンしていたほうが絶対おもしろいよ! と庄司さんから新たな案が出されました。
石膏デッサンの石膏デッサン
なるべくポーズは同じまま、右腕だけを激しく動かし描きました。
もともとは、お客さまから寄せられた『「いないけど、いる」ような作家の淡い存在感が漂う作品を求む』という企画リクエストに応えて生まれたアイディアだったため、わたしは予定通りじっと動かず、本物の石膏像に紛れているべきなのではと悩みました。それでも背中に描いてもらった石膏像は、笑えるほど人間味に溢れていて、とても無機物とは思えない哀愁まで漂っています。顔や体を傾けた時によじれる表情も奇妙です。石膏像が命を持つというだけでおもしろいことを実感し、あちこち動いて奇妙な空間を切り取る方向に企画を修正しました。
本館にやってきました。
白い絵が背景だと、一見本物の石膏デッサンです。
防犯カメラ映像。
メッセージコーナーで
休憩中
屋外逃亡
山下さんに叱られて
すごすご道場に戻りました。
ここがわたしの居場所です。
デッサン再開
石膏像が石膏デッサンしてるところもデッサンしてよ、と庄司さんにお願いしたのですが、要素多すぎじゃない? と反対されました。
それでも、と食い下がったらすみっこでこっそり描いてくれました。石膏デッサンが石膏デッサンしてる風景デッサン。
しかし庄司さんは30分も経たないうちに「空間が描けない」とか言って途中で投げ出しやがった。大丈夫ですよ! と引き止めましたが、やっぱり実際に見てみて、「問題は空間か? 庄司さん、かたちとれてなくなーい?」と思いました。わたしは絵のセンスはないけど描写はできるという超つまらない能力をここぞとばかりに誇示しようと、必死でデッサンを続けました。
浪人経験者としては、現役合格者の庄司さんに石膏デッサンで負けるわけにはいかなかったんです。
足元を見られるわけには。
上手に描けましたーっ!
わたしがろくでもない闘志を燃やして鉛筆を走らせているうちに汗腺がゆるんだようで、肌がこぼれていました。
年代物の皮膚。
ぼろぼろに剥がれた表皮に、自分を覆うメッキの脆さを見ました。わたしは庄司さんのドローイングがとても好きで、いっそそのセンスが憎いほどです。今回のボディペインティングも写真で見て驚嘆しました。背面の絵なので、この目で直に確認できないのが無念です。
わたしには、中途半端な描写力という皮が剥がれたら何も残らない…。センスエリートがうらやましいです。
制作道場の残り日数が減るごとに、山下さんの企画チェックが厳しさを増していて、何を出しても通らない。この日も閉館まで散々話し合ってようやくプランが決まったのですが、決まってからも動機のつめ方が尋常ではなく、道場主というより裁判官という風情でした。
き、期待に、こたえなきゃ………。
最終日に予定していた「若木くるみ総選挙」は、寒いからやめました。なんか振り返って濁すってずるい気がしたからです。しかしアイディアがまたゼロに戻ってしまい、最後フィナーレをどうしたらいいのか頭を抱えています。何をすればいいのでしょう…。
---本日の学芸員赤ペン---------
今回の作品は、石膏像が自分が石膏像であることも忘れて他の石膏像をデッサンするというもの。企画当初には、3次元の肉体(背中)に3次元の石膏像(正面)を模した2次元の絵を描き、その2次元の絵をまとった3次元の偽石膏像を2次元の平面にデッサンするという、非常にトリッキーな作品だったのですが、当日の状況を見て変更された、石膏像が自分の立場を忘れてデッサンするという方がより若木くるみらしさを増幅させてよかったと思います。
さてこの作品を成功させるためには、石膏像と見まがう石膏像を描ける画力と、本物の石膏像に囲まれて偽石膏像が立っているという空間が必要でした。前者は、昨日から来オグ(注:小国町に来町すること)されている画家の庄司朝美さんによって、後者は小国中学校の全面的なご協力によってさらりとクリアされました。
そもそもこのプランが決まったのがおととい。おとといの夕方小国中学校の美術の先生に石膏像の有無をお尋ねし、すぐさま校長先生も貸し出しをご許可くださり、昨日13体もの石膏像をお借りすることができました。
また、このプラン自体が「友人の画家の来オグ」の予定あっての提案でしたので、庄司さんには、「バス停までお迎えに行きます」という名目でバス停からそのまま中学校の石膏像運びへとお連れいたしました。到着早々の労働、ありがとうございました。
そんな各方面からの協力を得てスタートした本作は、見に来られた方どなたにも一言の説明も要らないほど、一見にして伝わり、「うーん、これはおもしろい!」と思わせる作品でした。制作道場中では「かかし」(8月4日)と同等の説明不要作品であり、さらに言えば、説明しては台無しな作品だったと思います。
「かかし」は、見破られるかどうかの瀬戸際がおもしろいところだったのですが、本作は、見破られてなんぼのおもしろさです。見破られてこそ、様々な装置が偽石膏像(ビーナス)へと繋がっていきます。写真で見るとよくわかるように、千足観音のときの足跡がまるでビーナスが動き回った足跡のよう。偶然と言えば偶然なのですが、ビーナスの偽物感を上塗りして余りある表現となりました。さらにビーナスの偽物感を増長させているのが、「展示室にて」「庭にて」(制作道場ポスター写真の立ち位置です)「防犯カメラにて」の写真。冗談みたいだけどやらずにはいられない気持ち、わかりますよね。おもしろいに決まっているもの。
「おもしろい」「おもしろい」と言っていてはあまりに語彙が少なく、感想文としてすらどうなんだと思いますが、日記の写真を見ただけでもみなさん「ぎゃふん」となっていませんか?くすくすと笑いながらも美術らしい多重構造が脳をくすぐる快感を味わっていませんか?
美術の枠組みを使えば使うほど滑稽さが増します。それは、知らず知らずのうちに私たちが美術の枠組みを神様視点から浮き彫りにしていることに他なりません。そして、この作品に私たちの胸がくすぐられて仕方がないのは、「おもしろい」と思いながら見ている私たちの反応自体が作品の一部に取り込まれていることへの快感に他ならないのです。
日記を読みながらくすくす笑った皆さん、きっと展示されていた石膏像と同じくらいの比重で作品の成立に参加していると思いますよ。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
九州一円 8月28日
今日は昨日の『円』の裏面です。
『九州一円』。
自分にとっての九州の中心地は善三美術館、という気持ちでつくった『九州一円』です。
霧に煙る阿蘇五山の涅槃像。
「1,00」と小数点を入れて「1円」を表現しましたが、わかりづらかったので後でゼロは消しました。
わかりづらさは変わらず。失敗した。
昨日「百十五」円だった表面(写真左側)のデザインも、今日は善三仕様です。
「坂本千゛三」 善三→ぜんぞう→千゛三 です。
、、、
「百十五円」の文字に線を足して引いて「千゛三円」。
後頭部には、善三先生の顔を描いてもらいました。
好き勝手あそばれて、気分を害す善三先生。
山下さんもびっくりの雑な禿げ方です。
お札は顔出し装置として活躍しました。
九州一円……、どうがんばっても他に書くべきことが見当たりません。
それぞれの立っている場所が、いつも世界の中心ですってこと? 君の人生の主人公は君だ、ってこと? ぎゃー。
コンセプトの後付けをしようとして、ほとんど言いがかりレベルの赤面フレーズを考えてしまった。言葉あそびから始まって、どこにも着陸せずに終わってしまいました…。
美女の肩を組む善三先生。
おもしろ写真がとれたからOK、というわけには行かないんでしょうね。
---本日の学芸員赤ペン---------
善三美術館をくるみちゃんにとっての九州の中心にしてくれてありがとう!
皆さんの中心にありたいと願う、坂本善三美術館です!よろしく!
「九州一円」に一円の一言があるためにお金と結びついて生まれたこの作品に関しては、昨日の「円」で書いた赤ペンと以下同文。生まれたきっかけが「九州一円」をすべてのよりどころにしているだけに、いっそう「・・・で?」感が強まっていることは否めない。
出来は悪くはなく、来館者はそれなりに楽しめたと思いますが、本人も書いている通り、顔出しパネル以上の作品にはなっていなかったと思います。悪くはないけど、これ一発でくるみちゃんのファンになっちゃうようなことにはならない。たぶん、「若木くるみの制作道場」の中でではなく、何かのグループ展の一角をこの作品が占めているんだったらよかったのかもしれません。
そういうことは企画書の時点で話しあうべきだったのかな。
残り少なくなってきた会期、フィナーレに向けての1作1作の重さを感じます。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
円 8月28日
硬貨のように表面がでこぼこした物の上に紙を置き、鉛筆でこすって表面の模様を写し取る技法をフロッタージュといいます。
10円玉のフロッタージュ。
お札の透かしも、鉛筆でこすると人の顔が浮かび上がってきます。表面が微妙にでこぼこしているせいです。
これは、わたしの代表作『面』です。みんなに好かれるにはどうしたらいいだろう、考えた末導き出した答えは「お金になる」でした。身も蓋もないというか、俗物ですみません。この作品の印象から、わたしは「お札のひと」、「後頭部のひと」などと周囲に認識されています。ただ、自分としてはお札と後頭部の組み合わせは今ひとつだった、という反省を持っていて、「お札と後頭部」より、例えば今回の制作道場3日目の、「額縁と後頭部」のほうがずっとよかったと思っています。
今日は積年の、「お札と後頭部」のリベンジ企画。
タイトルは『円』。
目は50円玉(×2)、鼻は10円玉、口は5円玉。
目鼻立ち 全部合わせて 115円。(一句)
百十五円札。
わたしの価値は、自動販売機の缶ジュースがぎりぎり買えないくらいのお値段です。
お札のベースを千円札にしたわけは、野口英世が欲しかったから。
口が五円で、五口英世。
わたしの後頭部の硬貨のでこぼこを使って、お客さんには冒頭のフロッタージュ技法を体験していただきました。
鼻をこすってもらいます。
写し取った10円札。
てびき『4』の10円記念はチロルチョコのはんこのこと。フロッタージュした10円札にチロルチョコの版を押してお渡しします。
しかしこれはただ見た目がかわいいだけのサービスで、そんなに意味があったとは思えない。はんこよりむしろ、てびき『5』の、美術館内で使用できる10円紙幣になる(グッズを10円値引きする)、というほうがおもしろい、と思ったのですが、金券として使ってくださる方はいらっしゃらず残念でした。グッズの売り上げにも貢献して、山下さんに褒められたかったのですが…。
話はまだ終わりません。
10円硬貨を繰り返し繰り返しフロッタージュしていると、でこぼこ模様の草かんむりはおさげに、中央のリボンは髪飾りに見えてきました。
フロッタージュした10円の髪型に、自分の後頭部の顔を描き加えました。
硬貨を裏返すと、広がる景色は立派な日本家屋。わたしの目に、この寺院はもう善三美術館にしか見えません。
制作道場のチラシを再現。遠景に美術館。
山下さんにもうまく説明できなかったことを書ききれるわけもなく、寝言みたいな文章になってしまいますが、自分の後頭部の10円玉の中に制作道場がつまっていて、自分の顔の中にも10円玉がつまっていて、そこは道場そのもので、お札の中にも自分がつまっていて、みたいな、すべての要素が行き来するイメージ…。
10円硬貨を模した正面。
昭和60年。生まれた年です。
思えば遠くへ来たもんだ。
後頭部の硬貨すべて60年度製にしたいとくだらないことで騒ぐと、善三美術館スタッフチーム「+zen」が全精力を傾けて探してくださいました。
10円と5円は見つかったのですが、50円玉は見つからないまま。何やらスタッフさんが密談していると思ったら、「9時におみクジ!」とか言って開館時間の9時ぴったりに銀行へ繰り出され、戻ってきたその手には50円玉のタワーが何本も。両替した50円玉の中から、だれが60年度を当てるかという「クジ」だったようです。なんか、わたしのおかげでみんなたのしそうでいいですね。と思いましたが、61年度とか59年度とか、ニアミスはあるのに60年は結局見つからず、ふざけんな、生まれ直してこいよ、という圧力を感じていたたまれなかったです。
..
60年生まれでごめんなさい。
後ろ髪は英世っぽく左側にボリュームをもってきたり、正面は前髪を編み込んでおさげをつくったり、ヘアメイクも神がかっていて、+zen様々でした。
炎に包まれているような一枚。光源はもちろん「+zen」。閃光を受けて、お札ともども即燃え尽きてしまいそうです。
---本日の学芸員赤ペン---------
このお札を使った作品は、割と早い段階で企画書が作成され、いつ実行するかタイミングを図りつつ、細部をどうつめていくかというところでストップしていました。また、お札を作るという作業、当然時間がかかるもので、開館時間から閉館時間まで美術館に拘束され、夜家に帰ってからも凝った日記を書き、翌日の準備もしなくてはという過酷な制作道場では、なかなかくるみ氏の制作時間も限られ、いつお札を作ることができるのかということが全てのタイミングになっていたのかもしれません。
写真をご覧になってもお分かりのように、お札は太郎賞作品ほどの描き込みはないにしても、省略した表現ながら非常にお札らしかったし、パフォーマンスをするときの細部の小道具のこだわらなさに対して、いざ絵をかくとなると非常に細部にこだわるところがおもしろいなと思いました。
そして、後ろの顔をお金で作るというのも初めての試みだったろうと思いますが、丸の空いた50円玉や5円玉が、手で描いては得られないとぼけた表情を作り出していました。さらに鼻となった10円をフロッタージュしてお札にし、ミュージアムショップで使える10円札を作るという来館者のアクションを誘う仕掛けもあり(10円札使った人はいなかったけど)、みなさん、おずおずと後ろの顔フロッタージュにとりくんでくださり、楽しんでいただけたのではないでしょうか。
が、私はどうしても「・・・で?」という感想を拭い去れない。
後頭部にお金で顔を作りたかったのと、そこから生まれた五口英世を言いたかった以上のものが浮かばない。
決して悪くはないのだ。絵としておもしろいし、作品として完成してるし、来館者とのコミュニケーションもとれるし。
画家に「どうしてこの絵を描いたのですか」と聞くのがおかしな質問であるように、「何でお札なの」と聞くのは野暮なのだろう。画家は描きたくて描くのだし、絵に描かれているもの以上の意味はない。それで平和を訴えるわけでも自然美を訴えるわけでもない。それは勝手に見る人が後付けすることに過ぎない。
くるみちゃんもこの作品がやりたかったのだろうと思う。作家はやりたいと思ったアイディアをこの世に形として現せばいいのだ。この作品でもたくさんの「おもしろい!」と思ったものを組み合わせたのだろうと思う。でもその一つ一つのおもしろいと思ったものが、無理やりストーリー付けされて一緒に組み合わせられているような気がする。もしくは、決められた範囲の中でストーリーを作り出すためにおもしろいと思うものをなんとかして見つけ出したようにも思う。
「何でこの作品を作ったの」という質問は、強烈におもしろい作品の場合は頭に浮かばない。
細部もよくできていたし、べつに悪くはないのだけど、理屈を求めたくなる作品だったというのが私の感想です。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
確認印 8月27日
わたしの前に善三美術館で展覧会をされていた方が置いていかれた、胡蝶蘭と、蘭が入っていたボックスです。
、
胡蝶蘭本体には顔を描きましたが、箱のほうは、いかにも何かに使えそうな感じがかえって難しく、作品のアイディアが湧かないまま今日まできてしまいました。せっかくだし使いたいけど、ここからどうせ後頭部でも出すんだろうなあと思うと、先が読めてどうにもつまらなくって…。
お客さんから募集していた企画書は、いつの間にか、かなりの数が集まっていました。ありがたく思うほど、そのほとんどを実行できないことは心苦しく、なんとかしてそれらを作品にしたいとずっと考えていました。
そこで生まれたのが、今日のこの「確認印」。
『( )乃 印』
( )には顔を出している人の名を。例えば、『(まいちゃん)の印』。
山下さんと毎日やりとりしている企画書です。
ふたりの確認印。
お客さんが書いてくれた企画書にも、ひとつひとつ確認印を捺すことにしました。自分の顔を、印鑑にして。
のせているのは朱墨液
目線を落とした先にある、企画書めがけて飛び込みます。ダンボールの体をゆすってはずみをつけて、1、2、3、せーの、で誤って後ろに倒れました。
コントか。
こう見ると棺っぽくもありますね。
大人3人の手を借りて抱き起こされ、次は介助を伴っての挑戦に。
せーの
ここから2秒、記憶がない。レッドカーペットは思ったよりもずっと硬くて、ハリウッドセレブの足元の、ヒールの痛みを知りました。
全然命中しなかった。
狙いを定めてもう一度。
今度はきれいに付きました。
一作一作、印を捺す前に企画書を読み上げます。採用にならなかった理由とともに採点もして、どんどんさばいていきます。
「次、『おばけやしき』。これは山下さんのお子さん、さくくんのですね。4点!」
ちなみに100点満点中、です。
ダメ出ししたあげくの採点は相当つらいものがあり、山下さんがいつもどれだけ苦しんでいらっしゃるかがよくわかりました。…と書きたいところですが、わたしは企画を下さった方々がその場にいないのをいいことに、良心の呵責なくばっさばっさと斬っていきました。からい点をつければつけるほど見物客は盛り上がり、わたしの勢いはとどまるところを知らなかった。なんだ、山下さん、気持ちいいんじゃん、赤ペン。と、思いました。
しかしレッドカーペットのどん突きにカメラを構える山下さんに気づいた途端、道場主を差し置いて調子こいて企画書に赤を入れている自分が恐ろしく、道場破りをしている気分になりました。そして、的外れな批評をして皆がリアクションに困っている回などは、程度が知られた絶望感でわななきました。山下さんはわたしの姿が滑稽すぎて正視に耐えきれず、ファインダー越しの観察をされているのかと思いました。
企画書の出来不出来によって、自分の顔の表情も変えるつもりでしたが、地面に追突する瞬間はそれどころではなく、決まって目をつむってしまうのでした。現実と向き合うことを先延ばしにしているわけではないのですが、まぶたが、勝手に…。
表情の違いはうまく出せませんでした。
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そして格調高い印鑑を象ったダンボールは所詮ダンボールで、あっという間に再起不能レベルまでぶっ壊れました。水やりもなしに放っておかれてなお威丈高に咲く、モンスターみたいな胡蝶蘭に比べ、箱の命はあまりにあっけないものでした。胡蝶蘭を守っていた箱を破壊したわたしは、つまりは胡蝶蘭よりも強くたくましいということで、自身に漲る生命力を思うと誇らしかったです。例え山下さんに破門されても、生きていこう。無惨に破れたダンボールの中で拳を握りしめました。
制作道場の、終わりが近づいています。
企画書ありがとうございました! まだ、募集しています!
---本日の学芸員赤ペン---------
「助けてください」というまさかのキャッチフレーズと共に募集し続けてきた、お客様からの企画書が、予想以上にたくさん集まりました。それもくるみ力の一つだったかもしれません。「何かこの人にやらせてみたい」と思わせたり、「こんなおもしろいこと考えていいならオレも考えてみたい」と思わせたり。これまでの作品に見る人を動かす力があったということではないでしょうか。
出された企画の多くは、やはりくるみちゃんに「体を張れ」というものが多く、ちょっとそれは無事ではすまないのでは・・・?というものもあり、ますます若手芸人的な視線を感じないでもなかったですが、どれもみなさんが考えるときに楽しかったんだろうなという雰囲気が伝わってくるものでした。実に自由でした。ご協力ありがとうございました。
そんな皆さんの思いを昇華させたいという思いから、今回の確認印が生まれました。
「体を張れ」といわれた企画に答えられなかったつぐないなのか、本作は、文字通り「体を張った」作品でした。顔面をハンコにして自ら床にダイブするなんて!
実は確認印自体も、本当は後ろの顔でするプランだったのです。しかしもう一つしっくり来ないまま実際ハンコを作ってみると、これは表の顔でやったほうがいいじゃないかということになり、急遽、初の表の顔作品となりました。顔拓。さすが版画科出身らしく伝統ある版画の一種ですね。
こういうときには瞬発力や決断力がものを言います。何しろ当日朝のことだし。スタッフ総出であれこれ準備したり相談している間に、ふっと生まれた些細なアイディアをすぐさま作品に取り入れて軌道修正していく姿は、見ていても胸が躍るものです。
きっと、企画を考えてくださった皆さんも、企画を考えるときはそうだったんじゃないかな。普段は考えなかったようなことを考えて、脳の細胞がむくむく動いたりしたんじゃないかな。ニヤニヤしちゃうような気分になったんじゃないかな。
そうやって胸躍らせていただいたお礼の気持ちのハンコ、お受取ください。
そしてくるみちゃん、みなさんの企画書に初めて目を通すとき、わくわくドキドキしたでしょう?私もいつもそうですよ。赤ペンでぶった切るのが気持ちいいわけじゃないですよ。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子