名画 8月1日
いつもは小国町のゆるやかな時間の流れに従って、開館時間の9時をまわってもちんたら展示作業を続けているのですが、今日は朝から役場の監査とやらが入るせいでさすがの善三美術館もピリピリしていて、始業前の段取りがスーパーハードでした。
今日の道場は、役員のちゃんとした方たちにちゃんとした作品を見せて高評価をいただくために、広報でも使った代表作の後頭部らくがきにしました。
これはいつだって受けのいいパフォーマンスなのですが、自らの背面を扱うため器用に手が届かず、準備に人の手を煩わしてしまうところと、保存がきかないところが難点です。
前日に準備しておけたら楽なのですが、髪が伸びて顔が青ざめてしまうので…。
鮮度が命です。
まずスタッフさんに剃髪してもらって、わざわざ朝っぱらから呼びつけた小国中学校の美術の先生に絵を描いてもらいました。
今回は、名画をイメージしました。額縁からこんにちは! です(過去作はお札や名刺がモチーフでした)。
顔のみではなく、額縁の中身を「絵画」だと言いはるために、背中上部にもペイントします。
美術の先生はかわいらしいレースの襟をあしらってくれました。
このパフォーマンスの醍醐味は、後頭部に顔を描かれながら、わたしも同時に顔を描く、同時進行のコミュニケーションにあります。
肌で感じる後頭部の筆の動きを追って、なぞるように画面に像をうつしとっていきます。
皮膚の感触に集中すると、先入観や固定観念を排除しようと自然に目をつむってしまうのですが、そうすると画面が見られないためガッチャガチャの福笑い状態に…。
鼻をトレースしそこねました
それでも、自分の技術や常識に頼って「顔らしく」描けた顔よりも、相手の動きに忠実であろうとするあまりズレまくってしまった作品のほうが、誠実である気がしています。
ただ、お客さんはやっぱりいい顔を描いてほしいでしょうし、うまく追描できたときは「うわー似てるー!!」ってよろこんでくれるし…。ヘタな顔を堂々と出してしまうのは結局自己満足に過ぎないのかもしれません。
日常の対人コミュニケーションにおいて、わたしはいつもついピエロになってしまうという悩みを抱えています。度をこしたサービス嘘が次々口をついて出てきて、自己嫌悪になるんです。「山下さん、水玉のワンピース夏らしくてすっごくかわいいです!」
普段の、周囲への過剰なふるまいに対する罪悪感を、崩れた絵を素直に出すことで浄化できた気になっているのだとしたら、その回にあたったお客さんはとばっちりです。それでも「ああ〜、似てる!…かも」とフォローしてくださるやさしさに、こちらがサービスするはずが、サービスさせてしまうという逆転現象が起きていました。共犯でした。
だいたいみんなもれなく楽しめるテッパンの企画なので、「困ったときの後頭部」として貯えておきたかったのですが、早くも3回目にして登場させてしまいました。
自分の、日頃コミュニケーションに感じているジレンマを切々と訴えることで、あともう一回くらいやっても許されそうな雰囲気づくりを演出してみたのですが……だめですか?
何度やっても考えさせられる、煮しめれば煮しめるほど味わい深い後頭部です。
みなさんも一度剃ってみてください。
額縁が重くて頭蓋骨が陥落するかと思いました。そう思うと、目にいっぱい涙をためている顔のように見えてきます。
ほお骨だと思ったラインは、年齢を匂わせるホウレイ線でした
幼稚園児と挑発し合う大人げなさ
みんなだいすき 山下さん