母の絶筆  8月7日

昨日この絶筆企画を初めて読んだ時、山下さんはかつてないほど曇った顔をされました。

いつもの愛らしい爽やかなワンピースではなく、カーディガンとカットソーとスカートの組み合わせだった山下さんですが、それらはすべて濃淡の微妙に異なるラクダ色で、渋い顔とのトータルコーディネートがラクダそのものでした。

 母の死をネタにしたこの企画は、はじめは文章と絵だけでシンプルにおさめるつもりでした。

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 そこから、ダウナーな討論がああでもないこうでもないと長時間続いて、もうだめ、何も出てこない、わたしはこのまま山下さんの懸念を振り切って決行する、そしてどんよりした気持ちを抱えて山下さんのコメントを待つ。と唇をかみしめていたところに、すっぽーん!と、後頭部が降ってきました。遺影のフレームと、額(ひたい)の白い三角が。

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むしろ、絵と文章はいらないぐらいでした。

誰にかわからないけど、薄笑いで謝りたいです。

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姉による原稿

『母の絶筆』   若木まりも
私の妹は一応芸術家ということになっているが、芸術なかんずく美術をとんと解さない姉にとっては彼女がやっていることはただの悪ふざけにしか見えないことが多い。家族なので応援してはいるものの、やれ個展の話が来ただの雑誌に載ることになっただの聞くと、よかったと思う反面みんな騙されてないかと心配になる。応援していると言ったはなから言いにくいのだが、そこまでの価値のあるものとはどうにも思えないのである。
 結局は意味なんだなと、それでも彼女の展示や発表を見に行くにつれわかってきた。戯れのようなスケッチに幼児の作と見まがうオブジェ、それに奇行としか思えないパフォーマンス。しかしそれらがいかに稚拙だろうがバカバカしかろうが、評論家や学芸員なる肩書きの誰かが華麗に意味づけをしてくれて、何々としての何々とか何々的な何々とか何々の何々性を何々せしめている何々とかの甘美な言葉を並べてくれるので、こちらは眉間を引き締めて軽く頷きながら「はー」あるいは「ほー」と言っておけば良いのであった。
 同じことは妹など比べ物にならないほどすごい人の展覧会に行っても見ることができて、たとえば喫茶店のコースターにボールペンで書きなぐられた若き日の落書きが金ぴかの額縁に収まっていたり、達筆すぎる字で品名を書き付けた包み紙の和紙が立派に表具されていたり、いくらなんでもこんなものまでと驚かされるが、つまりその人の手になるものなら何でも価値があるのでいくらやってもやりすぎということはないのだとわかる。名前のマジック、意味のマジック。
 その流れでいうと、絶筆、遺作、未完の大作、こういう言葉もマジックを持っている。なんとドラマティックで悲壮な響き。たとえそれが習作でも、さらには世紀の駄作でも、手すさびであってもなんであっても、そんな冠がつくと名作のような気がしてくる、いや、名作でないわけがない気がしてくる。もちろん我が身の最期を予期し、覚悟を持って描かれた真の傑作もあるやも知れぬが、大体はそれが完成しおおせたならば凡作の評を免れ得ない一枚が絶筆という衣をまとって我々に「はー」「ほー」と言わせるのである。
 では「絶筆」を装って描かれた作品は……? それを名乗るだけで傑作になるのなら……?
 昨年母が死に、そんな疑問が妹の胸を去来した、かどうかは知らないが、とにかく妹なりに絶筆の意味について考えたらしい。この絵のモデルの姉妹はこども時分のわたしたちで、もし母が絵を描いていたならこんな感じのものが残されただろう、ということなのだろうと思う。生きている者が絶筆を装って中途で筆を置くというのはそれなりに難しいことのような気もするし、いやちょっとトイレに立ったままほっておけばいいだけのような気もするし、どっちでもいいのだが、とにかく私にはこの偽絶筆がそれなりのインパクトをもって見えた。あまりにも元気で不死身とすら思っていた母の人生のあっけない途切れ方そのもののように思えたせいかもしれない。妹の芸術家としての成功をはじめとして、家族の幸せを願いながら見守り続けることのかなわなかった無念さがにじみ出ていたからかもしれない。自らも大学で美学を専攻していた母は、反抗期が長く親孝行な娘とは言いがたかった妹の美術の世界での小さな成功を心から喜んでいた。個展をやると言えばはるばる北海道から見にきては旅費がかかって仕方がないと嬉しそうにこぼしていたが……。口やかましく時には煙たい母だったがそれゆえに一家の中での存在感は圧倒的に大きかった。下部の空白のがらんどうは、私には母の不在そのもののように映った。
 ――というようなことを書いたが、これはもちろんこの絵に対する、私による恣意的な意味づけにほかならない。何々としての何々と同じことで、私が作者の肉親としてこう書いたせいで最初は「なに。この描きかけの絵」と眉をひそめた人もなんかちょっと分かった気になったかもしれないが、しかし実はこれらは全部嘘で、妹は単にトイレに立ったまま忘れてしまっただけなのかもしれないし、締め切りに間に合わなかったからタイトルを急遽「絶筆」にしただけかもしれないし、誰かのアトリエから描きかけの作品を盗んできて展示しただけかもしれない。そもそも若木くるみなどという作家はいなくて母の若木恵子がくるみを名乗って活動していたのかもしれないし、あ 、その場合これは本物の絶筆ということになるな。そして姉と名乗っている私も実はくるみなのかもしれないし、むしろ恵子なのかもしれない。描いたのは誰? 死んだのは誰? 私は誰? テレビ通販の売り文句を鵜呑みにするのが愚かであるように、美術作品の批評も聞くだけ迷いのもとではないのか。
 ちなみに私は妹のパフォーマンスはともかく版画作品は割合に好きである。いくつか持っているうち一番気に入っているのは、ワキ毛を生やした2匹の猫(キティちゃんに酷似)が薄暮の海の上空を飛んでいる葉書大ほどの小さな木版画。暮れかかるころ海が一瞬光るあの感じがよく出ていて、空の青が透き通るように美しく、ふざけた絵なのだがいつ見てもきれいだなあと思う。この絵を買った頃は無名すぎてまだ中身より額縁のほうが高かった。なんだか可哀想な気がしたものだが、コースターを額装された画家よりはましなのかもしれない。まさか手すさびを仰々しく公開されるとは思っていなかったに違いないだろうに。それを言うと母にしても、勝手に名前を使われ、 勝手に自分の「作品」を仕立て上げられて気の毒といえば気の毒なのだが、思えばキラキラネームという言葉がまだ世にない昭和の終わりにあって私たちにこの独創的な名前を付けたのは母であった。そして自らの命名センスに後々までいたく満足していた。坂本善三美術館の壁に「まりも・くるみ」が並んだことを知ったら喜んだであろう、あるいはこの名前こそが母の遺した作品であったのかと思うのである。