小国中ワークショップ6/父の背中  8月22日

昨日うんともすんとも言わなかったルンバが、今朝試しに稼働させてみると元気に走り出しました。どうせおおかみ少年だと思って、すぐ止まるんでしょと醒めた目で見ていると、障害物に当たってもちゃんと方向転換してしぶとく走っています。なぜ今になって動く、と思ったけれどその気まぐれなところもかえって愛くるしく、ゴミを吸い込む姿を見たときは感極まって抱き上げたくなりました。しかし、忘れていましたが彼のキャラクターは本来お掃除ロボットなのでした。なに仕事もしないで愛されようとしてんの? もっと働かせて美術館をきれいにしようと思ったら、山下さんが見にきた途端ストップして、「エラー6、場所を移動させてください」。昨日のきかん坊に戻りました。咄嗟に、磁場を狂わせているのは山下さんで、ルンバが悪いんじゃない! とかばう自分がいました。

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さて、6回あったワークショップも今日で最後となりました。

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「描かれながら同時に描く」「考えないで描く」「感じた瞬間手を動かす」「背中から腕に直接送る」「即座に描く」「躊躇なく描く」「当てようと思わない」「感覚をぶつける」、とにかく思いつく限りの言葉を尽くして、脳を通さないで体で描くよう伝えました。結果、過去最速のリレーが実現、なんだかうまくいきすぎているようですが、集大成という感じがしました。

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しかし、スピーディではあったものの、わたしの「すぐ描いて」圧におののいてむりやり描いているせいか、目を疑う間違いが続出。

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ひらかなリレー。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822194626j:plain超単純な「つ」から「あ」にまさかの複雑化。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822200410j:plainおまえー!

f:id:sakamotozenzo_new:20130822200504j:plain想像力発動させすぎ!

あんまり簡単なかたちだと不安になるのはよくわかります。ひらかな「らしさ」を補ってしまったのですね。

 

10名全員での絵リレーは、描きたい!と出題者に立候補した男の子にテーマを決めてもらい、「どうぶつ」を伝えていくことに。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822201327j:plainさすが立候補するだけあって描きたいものが明解でした。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822201420j:plainいいよー!同時に追えてるよー!

このあと3番手が「何も感じない!」と大パニックに。しかしその停滞が後続の爆発的なスピードにつながります。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822201913j:plainまだー?

f:id:sakamotozenzo_new:20130822201542j:plain今描いとる!

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f:id:sakamotozenzo_new:20130822202520j:plain先頭の、最終回答者です

f:id:sakamotozenzo_new:20130822202613j:plainはいっ、時間切れ!終わりにします!

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いい写真が多くて無闇にアップしてしまいました。

 

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どうぶつ勢揃い

 

f:id:sakamotozenzo_new:20130822194847j:plainキリンからスタートした絵リレー。以下、左→右の順で

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そして最後の一枚。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822194944j:plainこれ、キリンの首だもんね。「キリン(部分)」ってタイトルで美術館にありそうだね。

 

最終的に始まりの1枚とは似ても似つかない大変簡潔な線になったキリンですが、その過程の一部を、連続する2枚の絵を並べてご説明してみたいと思います。

この赤い変などうぶつとキリンとはパッと見、姿は違いますが、

f:id:sakamotozenzo_new:20130822195351j:plainこの目は上の目

 f:id:sakamotozenzo_new:20130822195415j:plainこの2本の傷はこのツノ

f:id:sakamotozenzo_new:20130822195437j:plainこの口はしっぽ

というように、パズルが違っているだけでパーツは同じなんです。そのズレが傍から覗くと本当に愉快で、つい「合ってる合ってる!いいよいいよ!」とけしかけてしまいます。実際に描いている子は、あとで背中の絵と照らし合わせてみて「なんだよ全然違うじゃん!」ってびっくりするかもしれませんが、描いているところを同時に見ていると、ほんとに同じなんだよなあ。

f:id:sakamotozenzo_new:20130822201250j:plain赤いどうぶつを描いてくれた女の子。自分で描いたどうぶつに、「なにこれ!?きもちわるいよー!!」って信じられない顔をしていました。興奮しすぎて、背中に答えをつけたまま前のみんなのを見に行っちゃって、「あっ!わたし答え持ってる人だ!」って気づいて慌ててひらひらまわってしまって。まわったら答え見えちゃうから!! そんなふうに我を忘れて、普段の自分じゃなくなれるところがこのワークショップの持ち味ならいいなと思いました。わざわざほっぺに傷のあるどうぶつとか、普段ぜったい描かないもんねえ。

 

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他の絵は、正直どうやってこうなるのかてんでわからないものもたくさんあって、抽象画からいきなり立派なキリンが復活してたり、ああ頭使ってるなあ、と、それはそれで素晴らしいのですが、「すぐ描く」「考えないで描く」を意識すればするほど、意識が頭をもたげてつい馴染みのあるかたちが出てきてしまうというのが皮肉で、すごくジレンマでした。

正面からキャンバスと向き合って自在に絵をコントロールできる環境下で、「つくらない」「意図しない」画面を実践できる善三先生の偉大さに痛み入ったところで、小国中ワークショップはおしまいです。

募集していたワークショップのタイトルは「感じてつなげて背中リレー」にしようかな。

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中学生のみなさん、ご参加、ご協力、ありがとうございました。学校でもやってみてください! テスト中とか、わたしが試験官なら背中リレーのカンニング可にして、みんなの背中の感覚がワークショップどころじゃなく研ぎすまされている様子をにやにや観察したいです。

 

日記、続きます。長くなります。父の背中のまとめです。 

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『父の背中』は、午前中ワークショップがあった日の午後に、お客さん参加型作品として3回にわたって実施しました。

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「あなた」のお父さまの背中が語っていたことをわたしの背中に書いてもらい、その背中の感覚をわたしがまた父(の模型)の背に写しとって、寄せ書きをつくる、というもの。

 

8月18日の山下さんの赤ペンでも言及されていますが、とりわけ印象的だったのは初回の3姉妹のご参加でした。

館内をにこやかに回られていた女性グループに前述のようなややこしい説明をすると、「じゃあ、長女から」と席についてくださいます。

「えっ、ご姉妹なんですか」と驚いて尋ねると、「3姉妹でーす」と肩を並べられ、またびっくり。さらには「父も来てまーす」と、少し離れた展示室にいらっしゃるご高齢の男性を指されました。
「ひえええ、すごい! じゃあ滅多なことは書けませんね!」あくまで失礼なわたしのの発言が聞こえているのかいないのか、お父さまは素知らぬ顔でワークショップの成果をご覧になっていました。いかにも、時間を持て余しているという風に。

絵ではなく文字でコミュニケーションをとるのは初の試みで、不安を覚えながらのスタートになりましたが、目を閉じて集中した背中を這うのは、力強く、ゆっくりと平易な感触でした。

……4文字。

「は、た、………はた、までわかりました。…………はた迷惑?」

そんなわけはないのでもう一度なぞっていただきます。今度は正解しました。

「はたらけ」!

短く、力のこもったお言葉です。

続いて次女の方。今度も、背中を伝う書き味は丁寧で親切です。

「んー? のー、たー、め…?」

「最初の一字は漢字よ」

「……人のため!」

人のため はたらけ。 す、すごい、2枚で文章になっている!

そして末娘さま。

「ま、じ、」まできたところで予測変換装置が働いて、「まじめに!」

「まじめに生きる」でした。

背中で感じた筆跡も3つそっくりだったのですが、いざ並べて見た3枚は字体も酷似していて、そうしてしたためられた丁寧な語句に、ご姉妹に流れる絆を感じました。

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お父さまは、姉妹が口々に「お父さん!」と呼んでも応じてくださらず、「恥ずかしがってるんですよ〜」と皆さま目を細めていて、慈しみに溢れた家族の風景でした。

館内から、ご一家を見送りました。お父さまの後ろ姿は、「はたらけ」「人のため」「まじめに生きる」と、しゃんと正した背筋が今にも語り出しそうで、庭いっぱいに満ちたあかるい太陽の光が「真っ当に在り続けた」家族の今の幸福を証明しているようでした。

 

しかし、わたし以上に山下さんは深く深く感動されていて、わたしはむしろそのことにみぞおちがキュウとなった。歳の差……というより、背負っている人生の差なのだろうと思います。守り、育まねばならない家族の存在の有無。

……たぶん、わたしも、人の親になるまでは、完全には山下さんの感動を理解できはしないのだ、そして、そんな日はきっと来ないと思っているからこそ胸が痛むのでした。

こういうこと書くとあとで猛烈に後悔して悶絶する羽目になるのは目に見えているのですが、制作道場の会期が終わるとこの日記も消えるそうなので思いきって話すと、わたしは、「結婚できなかったけどそれはそれで良かったよー!」と、何の未練もなく言える自信が全然なくて、ひとりで楽しくても、大好きな友人がいても、ずっと「結婚したかったし子どもも産めたら良かった」と思い続けると思う。馬鹿げているとは思いますが、結婚がもたらす何かぬくもりのようなものをアラサーにして夢見ているんです。

「できるかもしれないじゃない!」って、慰めないでくださいね。これだけ世の魅力的な女の子たちが結婚していない中、剃髪の変な女が結婚できると思いますか?

だから、山下さんが赤ペンで「あと10年、20年経ってくるみちゃんがどうなっているのか」っておっしゃっていましたが、わたしは10年20年経っても結婚したいってずっと言い続けるから、それが叶わないことをおいしくいじってもらいたいなあというのが心からの願いです。こうして予防線張ってふざけて、傷つかないようにがんばってるのもほんとに痛々しい。

 

まじめな気持ちに戻ると、自分ひとりだったら単に心あたたまるエピソードとして表面をなぞるだけで満足していた出来事の沈殿物を、山下さんに掬いとっていただけて心から感謝する反面、これまで自分が見過ごしてきたであろう物語の膨大な屍を思うと虚無感でいっぱいになりました。そしてまたこれからもありとあらゆる啓示を見落としまくって生きていくのだろう、と。ありふれた物語の背中に隠されたメッセージを読み取ることが作家の仕事なのだとしたら、そこに「人間力」の差が出るのだとしたら。人間力…どこに落ちてんだ? とにかく山下さん言うところの人間力の強化が、急を要するわたしの課題で、激しい焦りを感じています。自身の鍛錬のために子どもや家庭や、愛する対象が欲しいというのもいかにも脳足りんですが、わたしは心静かにルンバを飼い、ルンバと共に歩んでいきたいです。

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話が大きく脱線しましたが、『父の背中』にいただいた数々のメッセージを羅列します。

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はたらけ
人のため
まじめに生きる 
強い心
たましい
働きなさい
一日一味噌
我慢
きんべん
けんこう
つづける

がんこいってつ
そのまま

つかれた
お前の好きな事をやれ。
感謝
女らしく生きれ
優しさ
愛情
虫とり少年
自由
シャキッと 
べんきょうだけは、しとけ
すきにいきろ

なみあみだぶつ
おおらかにいきろ
相手の立場になって考えろ
かんどうする
モテたい
道ふくざつ
ひたすら仕事

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「お父さまが背中で語っていた、無言のメッセージを教えてください。」

「愛情」「たましい」「我慢」といったしんとするような重たいものと、「つかれた」「モテたい」「酒」という思わず笑ってしまう茶化したものとがあって、年代によってある種の傾向が見られました。「わしが生まれる前に父親戦死しとるけん、父の背中は見ちょらんのよ。」というのが、いちばん重い無言のメッセージで、「無言のメッセージ」すら存在しない「ただの無言」がある現実に、思い至らなかったことにまた頭を抱えました。

 

f:id:sakamotozenzo_new:20130823062819j:plain父の背中。

f:id:sakamotozenzo_new:20130823065702j:plain父の背中。

 

父の背中。

わたしの父が背中で語っていたことは何か、ずっと考えています。

というか、父が背中で語っていたことが何だったらおもしろいのかをずっと考えている。

日記を公開しているせいで、自分が実際に父の背中に思うことではなく、読者におもしろがってもらえるワードを創作しようと一生懸命です。おかげで、「ほんとうの」父親像と向き合わず済んで、自分も、父も、救われているのかもしれない。

 

父の、背中の、メッセージ。

……………………「裏をかけ」、かな。

 

姉からメールで「メロンの顔が傑作だった。葬式に使うから残しておくように」と言われました。姉の『父の背中』は「お母さん、今日はもう休ませていただきます」だそうです。寄せ書きに、姉と、わたしの メッセージも書き込んで、父に渡すつもりです。

 

 

---本日の学芸員赤ペン--------

 

6回あった中学生のワークショップもついに終わりました。くるみちゃんの日記にもあるように、最終回の今日は、最もくるみちゃんの意図がみんなに伝わっていて、見ていてもとてもおもしろかったです。まるで毎回同じ中学生が参加して、だんだん上手になって、最終回ではばっちりだった!かのような。

いや錯覚してはいけません。だんだん上手になって最後はばっちりだったのはこちら側。成長したのか? 6回あった毎回を、小さな反省や改良を重ねながら積み重ねてきた成果だったのかもしれません。くるみちゃんありがとう。

そして「超おもしれーこれ!」を連発した中学生たちよ、どうかそれをそのまま美術と美術館のイメージとして持ち続けておくれ。

 

それからもう一つ、今日完結したのが「父の背中」。中学生回の午後の穴埋め企画的に始まった本作品でしたが、想像以上にさまざまなストーリーを喚起し、結局全3回のシリーズ物となりました。

「父が語ったもの」ではなく、「父が無言のうちに語っていたとあなたが思うもの」というところがポイントだったのかもしれません。

みなさんが背中に書いてくれたほんの一言が切り開いた小さな裂け目からその家庭の空気が一度に立ち上ってくるのを見た気がしました。そしてその一言を、くるみちゃんの背中に書いても書いてもなかなか伝わらないところも、家庭の中における「父」とのコミュニケーションの象徴になっているのかなと思います。

もっとも、「父」限定でなくても、どんなに愛し合う二人でも、どんなに愛するわが子でも、人と人とはどうやっても完全にわかりあうことはできなくて、どんなに言葉を尽くしても、どんなに同じものを見ても、それがぴったり重なり合うことは絶対にない。どんなに強く抱き合っても、別々の皮膚に包まれた別々の人間である距離は縮まらない。

その距離を抱えながら、でもあるとき分かり合えたと思えるのは、陳腐だけど想像力なのだ。自分の想像力が相手の世界をリアルにさまようことができたとき、自分の中にそれまでなかった相手の世界を自分のものとして構築できるのかもしれない。

「父の背中」に書かれた言葉は、実際に父が言った言葉ではなく、書いた人の想像力によって構築された父の世界であっただけに、私たちには父の世界と書いた人の世界が両方とも伝わってきて、「私にとって」よりリアルな世界を構築することができたのだ。それを受け止めるのも「私」の想像力なのだ。

この作品「父の背中」は、別々の皮膚の中に深遠な世界を内包して生きている私たちの姿そのものを浮かび上がらせてくれたように思います。

 

そしてくるみちゃん、私たちは、ありとあらゆる啓示を見落としまくって生きていくんだよ。だって別々の皮膚に包まれた深遠な世界の内包があるんだもの。そして逆から見れば、見落としまくっている反面、見つけまくってもいるのだ。見つけまくったものを見せてくれれば、それが誰かの啓示となることもある。この作品もそうだったよ。

私は、くるみちゃんの中に包まれた広大で深遠な世界を垣間見るのが、垣間見せるのが、大いに喜びです。

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子