九州一円 8月28日
今日は昨日の『円』の裏面です。
『九州一円』。
自分にとっての九州の中心地は善三美術館、という気持ちでつくった『九州一円』です。
霧に煙る阿蘇五山の涅槃像。
「1,00」と小数点を入れて「1円」を表現しましたが、わかりづらかったので後でゼロは消しました。
わかりづらさは変わらず。失敗した。
昨日「百十五」円だった表面(写真左側)のデザインも、今日は善三仕様です。
「坂本千゛三」 善三→ぜんぞう→千゛三 です。
、、、
「百十五円」の文字に線を足して引いて「千゛三円」。
後頭部には、善三先生の顔を描いてもらいました。
好き勝手あそばれて、気分を害す善三先生。
山下さんもびっくりの雑な禿げ方です。
お札は顔出し装置として活躍しました。
九州一円……、どうがんばっても他に書くべきことが見当たりません。
それぞれの立っている場所が、いつも世界の中心ですってこと? 君の人生の主人公は君だ、ってこと? ぎゃー。
コンセプトの後付けをしようとして、ほとんど言いがかりレベルの赤面フレーズを考えてしまった。言葉あそびから始まって、どこにも着陸せずに終わってしまいました…。
美女の肩を組む善三先生。
おもしろ写真がとれたからOK、というわけには行かないんでしょうね。
---本日の学芸員赤ペン---------
善三美術館をくるみちゃんにとっての九州の中心にしてくれてありがとう!
皆さんの中心にありたいと願う、坂本善三美術館です!よろしく!
「九州一円」に一円の一言があるためにお金と結びついて生まれたこの作品に関しては、昨日の「円」で書いた赤ペンと以下同文。生まれたきっかけが「九州一円」をすべてのよりどころにしているだけに、いっそう「・・・で?」感が強まっていることは否めない。
出来は悪くはなく、来館者はそれなりに楽しめたと思いますが、本人も書いている通り、顔出しパネル以上の作品にはなっていなかったと思います。悪くはないけど、これ一発でくるみちゃんのファンになっちゃうようなことにはならない。たぶん、「若木くるみの制作道場」の中でではなく、何かのグループ展の一角をこの作品が占めているんだったらよかったのかもしれません。
そういうことは企画書の時点で話しあうべきだったのかな。
残り少なくなってきた会期、フィナーレに向けての1作1作の重さを感じます。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子