最後の赤ペン

どの展覧会でも始まりと終わりがあるもので、会期が長かろうと短かろうと同じだけの準備をして、いざスタートしてしまえば刻々と終わりへのカウントダウンが始まります。

しかしこの「若木くるみの制作道場」に関しては、事前に広報以外の準備が何もなかった反面、始まってからは毎日が初日か初日前日のような感じで過ぎていき、無事終われるかどうかわからなかった分、いつまでも終わらないような気がしていました。青春の夏みたいだ。

くるみちゃんとの出逢いは、昨年6月。昨年の「アートの風」の招待作家だったワタリドリ計画の打ち合わせにくっついてきたのがくるみちゃんでした。そのとき美術館スタッフと町内有志の皆さんと一緒に食事会をしたのですが、その席でくるみちゃんは出席者一同の心を鷲づかみにしてしまいました。別に何か芸を披露したわけでもなく、むしろ「ワタリドリの友人です。ついて来てすみません。」といった感じで小さくなっていたと記憶していますが、それでもみんなは彼女たちが帰った後も「くるみちゃん」を話題にし続けたのです。この、人々をいっぺんにとりこにしてしまう求心力こそが、私に「若木くるみ展」を決心させた最大の理由です。みんながくるみちゃんに対して抱いた、根拠のない期待感。それが制作道場への第1歩でした。

若木くるみという作家は、土壇場の自分への不思議なまでの自信があって、私から見ても、冷静に周到に準備するよりも、追い詰められて七転八倒するところに創造の源泉を持っているように見えました。くるみちゃんが毎日1作品ずつ制作するという展覧会プランを出してきたとき、私が抱いていたくるみちゃんのイメージをみんなに見せるにはぴったりだと思いました。ひりひりするような作品との格闘を見てみたい。見ないではいられない。

それ以後のことはくるみちゃんの日記が語るとおりです。

制作道場の毎日は、ご想像のとおりに嵐のような毎日でした。いろんな方が私にまで「大変だったでしょう」と声をかけてくださいましたが、大変どころか、それはそれは本当に嵐を見るような楽しさでした。考えても見てください。自分がおもしろいと思う作家が自分の館で毎日新しい作品を制作してくれるんですよ。しかもそれに自分も大いに関わって一緒に作り上げていくんですよ。企画としてアイディアが最初に生まれた瞬間から形になっていく過程を間近につぶさに見て立ち会うことができるなんて、学芸員としての至上の喜びです。まして、それをお客さんがおもしろがってくれるなんて。遠くから足を運んでくれるなんて。くるみちゃんのファンになってくれるなんて。してやったりです。それを裏から見る役得をたっぷり味あわせてもらいました。

美術についてたくさんのことを考えもしました。美術の境界はどこにあるのか。作品コンセプトをどこまで伝えるべきなのか。一目で圧倒的に伝えるためにはどうすればいいのか。作品についてどこまで説明するべきなのか。そんな答えの出ないまま過ぎ去っていった数々の問いを抱えつつ、発表された作品すべてにそのつど解説(の様なもの)をつけるのもこれまでやったことのない経験でした。ろくに読み返しもしないで発表してしまった毎日の赤ペンは、自らの浅い底がいやと言うほど突きつけられるに余りあるものであったし、本当はもっと書かれるべきことがあったに違いないし、もっと書ける人が書くべきだったのだろうと思います。しかし作家以外で唯一全ての作品を見た者として、私が果たさなくてはならなかった役割でもあろうと思うので、どうぞ薄目の遠目で読んでいただき、くるみちゃんの日記に免じてご容赦ください。

制作道場の評判は、日を重ねるごとにどんどん高まっている感触がありました。作品が作りたまっていって会場が充実してきたし、徐々に作品の精度も高まっていったし、日記の充実もあったし。来場されたお客さんの反応もだんだんはっきりと見えてくるようになりました。そして会期が終わった直後、町内にお住まいのおじいちゃんからお電話がありました。

「若木くるみさんの展覧会はよかった。私は絵はわからんけど、あれならわかる。次はいつやるんですか」。

絵はわからんけどくるみちゃんはわかるってすごくないですか?絵はわからん。でもくるみちゃんはおもしろかった。それをわざわざ電話して伝えてくれるなんてものすごく嬉しい。美術館のご近所のおばちゃんたちも庭で何かがあっているたびに、「どんこん(どうにもこうにも)気になる!」といって覗きに来てくれました。いつもお向かいにいるおばちゃんたちが「どんこん気になる」と思ってくれるって、こんなに嬉しいことはない。このことだけでもやった甲斐ありというものではないでしょうか。人々と美術館をつなぐ架け橋となることを目指す「アートの風」ですが、これは確かにくるみちゃんが架けた架け橋の一つだったのだと思います。

夏と共に制作道場が終わり、千足観音の畳もイカ・タコ水墨画のふすまもすっかり張り替え、いつもの静かな善三美術館が帰ってきました。しかしいつもの静かな善三美術館なのに、「くるみ後」ではこれまでと同じにはなりませんでした。何が起こっても、何を見ても、これをくるみちゃんに見せたらなんて言うかな、どういう作品になるかなと、それを考えずにはいられなくなってしまったのです。美術館の中だけでなく、日常の中の様々な場面でも、「くるみ前」には見過ごしていた小さなものごとが新たな色と形と存在感を持って私たちの前に立ち現れてくるようになりました。くるみちゃんは私たちの脳天に、これまで持っていなかった新しいアンテナを一つ突き刺して行ったようです。アンテナ突き立てられちゃった私たちは、またくるみを感受したくてしょうがなくなっています。まるで恋みたい。皆さんの心はどうでしょう。何かが植えつけられていませんか。何かが震え続けていませんか。何かが渦巻き続けていませんか。これからこの小さな嵐を胸に巣くわせて、脳天のアンテナをくるくる回しながら私たちは世界と向き合っていくのではないでしょうか。

最後に。

寸暇を見つけては何度も足を運んでくださった方、いくつも企画書を書いてくださった方、差し入れを持ってきてくださった方、作品に参加してくださった方、お手紙を送ってくださった方、自身のブログやフェイスブックに載せてくださった方、展覧会を楽しんでくださった方、日記を読んでくださった方、そのほか応援してくださった多くの皆さん、本当にありがとうございました。

そしてくるみちゃん。本当にありがとう。いろいろ楽しかったね。

最終日の翌日、くるみちゃんたちを空港まで送って美術館に戻ると、前日くるみちゃんが走ったところが轍(わだち)になっていました。皆さんの心にもきっと残っているに違いないくるみの轍。いつかまた善三美術館へと続く道となりますように。

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 坂本善三美術館 学芸員 山下弘子