石膏デッサンの石膏デッサン  8月30日

 

昨日から、今まで3回しか会ったことのない画家の友人が東京から来てくださっています。

わたしは友人が非常に少なく、この「画家の友人」という表現に関しても、「友人…って書いていいのかな?……知人?」と、今目の前にいる本人に聞いてから書きました。いつ友人になったっけ?と思われる恐れがあるからです。

制作道場が始まってからの一ヶ月、訪れた友人はわずか3人で、わたしの人脈は山下さんに気を使わせるほど乏しい。

というわけで、超貴重な「描ける」人材の登場に嬉々として、彼女をこき使う企画を考えました。

 

小国中学校から石膏像をいくつも借りてきました。

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今日は、わたしも石膏像の一員になります。

 

f:id:sakamotozenzo_new:20130830193206j:plain庄司朝美さん。昨年友人になりました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830200410j:plain背面に石膏像を描いてもらいます。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830200507j:plain絵の具がひたひた打たれます。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830200545j:plain肩甲骨が胸のふくらみです。

 

石膏デッサンの石膏デッサン。

自分の後ろに描かれた石膏デッサンを、庄司さんをはじめとするお客さんにさらにデッサンしてもらう、というのが当初のプランでした。が、それより石膏像本人が石膏デッサンしていたほうが絶対おもしろいよ! と庄司さんから新たな案が出されました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830213859j:plain石膏デッサンの石膏デッサン

f:id:sakamotozenzo_new:20130830214358j:plainなるべくポーズは同じまま、右腕だけを激しく動かし描きました。

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もともとは、お客さまから寄せられた『「いないけど、いる」ような作家の淡い存在感が漂う作品を求む』という企画リクエストに応えて生まれたアイディアだったため、わたしは予定通りじっと動かず、本物の石膏像に紛れているべきなのではと悩みました。それでも背中に描いてもらった石膏像は、笑えるほど人間味に溢れていて、とても無機物とは思えない哀愁まで漂っています。顔や体を傾けた時によじれる表情も奇妙です。石膏像が命を持つというだけでおもしろいことを実感し、あちこち動いて奇妙な空間を切り取る方向に企画を修正しました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830233354j:plain本館にやってきました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830225955j:plain白い絵が背景だと、一見本物の石膏デッサンです。

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f:id:sakamotozenzo_new:20130830233603j:plain防犯カメラ映像。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830233645j:plainメッセージコーナーで 

f:id:sakamotozenzo_new:20130830233639j:plain休憩中

 

f:id:sakamotozenzo_new:20130830234601j:plain屋外逃亡

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f:id:sakamotozenzo_new:20130830234715j:plain山下さんに叱られて

f:id:sakamotozenzo_new:20130830230556j:plainすごすご道場に戻りました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830231204j:plainここがわたしの居場所です。

 

f:id:sakamotozenzo_new:20130830215342j:plainデッサン再開

 

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石膏像が石膏デッサンしてるところもデッサンしてよ、と庄司さんにお願いしたのですが、要素多すぎじゃない? と反対されました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830214651j:plainそれでも、と食い下がったらすみっこでこっそり描いてくれました。石膏デッサンが石膏デッサンしてる風景デッサン。

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しかし庄司さんは30分も経たないうちに「空間が描けない」とか言って途中で投げ出しやがった。大丈夫ですよ! と引き止めましたが、やっぱり実際に見てみて、「問題は空間か? 庄司さん、かたちとれてなくなーい?」と思いました。わたしは絵のセンスはないけど描写はできるという超つまらない能力をここぞとばかりに誇示しようと、必死でデッサンを続けました。

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浪人経験者としては、現役合格者の庄司さんに石膏デッサンで負けるわけにはいかなかったんです。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830220812j:plain足元を見られるわけには。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830235152j:plain上手に描けましたーっ!

 

わたしがろくでもない闘志を燃やして鉛筆を走らせているうちに汗腺がゆるんだようで、肌がこぼれていました。

f:id:sakamotozenzo_new:20130830232153j:plain年代物の皮膚。

ぼろぼろに剥がれた表皮に、自分を覆うメッキの脆さを見ました。わたしは庄司さんのドローイングがとても好きで、いっそそのセンスが憎いほどです。今回のボディペインティングも写真で見て驚嘆しました。背面の絵なので、この目で直に確認できないのが無念です。

わたしには、中途半端な描写力という皮が剥がれたら何も残らない…。センスエリートがうらやましいです。

 

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制作道場の残り日数が減るごとに、山下さんの企画チェックが厳しさを増していて、何を出しても通らない。この日も閉館まで散々話し合ってようやくプランが決まったのですが、決まってからも動機のつめ方が尋常ではなく、道場主というより裁判官という風情でした。

き、期待に、こたえなきゃ………。

最終日に予定していた「若木くるみ総選挙」は、寒いからやめました。なんか振り返って濁すってずるい気がしたからです。しかしアイディアがまたゼロに戻ってしまい、最後フィナーレをどうしたらいいのか頭を抱えています。何をすればいいのでしょう…。

 

---本日の学芸員赤ペン---------

 

今回の作品は、石膏像が自分が石膏像であることも忘れて他の石膏像をデッサンするというもの。企画当初には、3次元の肉体(背中)に3次元の石膏像(正面)を模した2次元の絵を描き、その2次元の絵をまとった3次元の偽石膏像を2次元の平面にデッサンするという、非常にトリッキーな作品だったのですが、当日の状況を見て変更された、石膏像が自分の立場を忘れてデッサンするという方がより若木くるみらしさを増幅させてよかったと思います。

さてこの作品を成功させるためには、石膏像と見まがう石膏像を描ける画力と、本物の石膏像に囲まれて偽石膏像が立っているという空間が必要でした。前者は、昨日から来オグ(注:小国町に来町すること)されている画家の庄司朝美さんによって、後者は小国中学校の全面的なご協力によってさらりとクリアされました。

そもそもこのプランが決まったのがおととい。おとといの夕方小国中学校の美術の先生に石膏像の有無をお尋ねし、すぐさま校長先生も貸し出しをご許可くださり、昨日13体もの石膏像をお借りすることができました。

また、このプラン自体が「友人の画家の来オグ」の予定あっての提案でしたので、庄司さんには、「バス停までお迎えに行きます」という名目でバス停からそのまま中学校の石膏像運びへとお連れいたしました。到着早々の労働、ありがとうございました。

そんな各方面からの協力を得てスタートした本作は、見に来られた方どなたにも一言の説明も要らないほど、一見にして伝わり、「うーん、これはおもしろい!」と思わせる作品でした。制作道場中では「かかし」(8月4日)と同等の説明不要作品であり、さらに言えば、説明しては台無しな作品だったと思います。

「かかし」は、見破られるかどうかの瀬戸際がおもしろいところだったのですが、本作は、見破られてなんぼのおもしろさです。見破られてこそ、様々な装置が偽石膏像(ビーナス)へと繋がっていきます。写真で見るとよくわかるように、千足観音のときの足跡がまるでビーナスが動き回った足跡のよう。偶然と言えば偶然なのですが、ビーナスの偽物感を上塗りして余りある表現となりました。さらにビーナスの偽物感を増長させているのが、「展示室にて」「庭にて」(制作道場ポスター写真の立ち位置です)「防犯カメラにて」の写真。冗談みたいだけどやらずにはいられない気持ち、わかりますよね。おもしろいに決まっているもの。

「おもしろい」「おもしろい」と言っていてはあまりに語彙が少なく、感想文としてすらどうなんだと思いますが、日記の写真を見ただけでもみなさん「ぎゃふん」となっていませんか?くすくすと笑いながらも美術らしい多重構造が脳をくすぐる快感を味わっていませんか?

美術の枠組みを使えば使うほど滑稽さが増します。それは、知らず知らずのうちに私たちが美術の枠組みを神様視点から浮き彫りにしていることに他なりません。そして、この作品に私たちの胸がくすぐられて仕方がないのは、「おもしろい」と思いながら見ている私たちの反応自体が作品の一部に取り込まれていることへの快感に他ならないのです。

 

日記を読みながらくすくす笑った皆さん、きっと展示されていた石膏像と同じくらいの比重で作品の成立に参加していると思いますよ。

 

 

 

坂本善三美術館 学芸員 山下弘子