前向きな後ろ向き 9月2日 一夜明け
最終日は、なんと坂口恭平さんが制作道場を見に来てくださいました。
と、昨日の打ち上げで「坂口さんの話題を真っ先に日記に書きます宣言」をしたら、関係者全員から恐ろしくつめたい目で見られました。「今日のこの大感動のゴールそっちのけで開口一番『坂口さん』ってどういうこと!?」
有名人に会えてうれしかったんです。
人でなしですみません。ミーハーなんです。
最終日をどんな企画にしようか、はじめに考えていたのは『若木くるみ総選挙』でした。一作ごとにキャッチフレーズをつけてポスターを展示するつもりだったのですが、そのアイディアが「振り返り企画で一日埋めたら新しいアイディアをひとつ考えなくて済む」という非常に後ろ向きな動機だったので、考え直すことにしました。ダイジェストだと29日分しか揃わないし、6回に及ぶ中学生ワークショップの扱い方も難しい。わたしは最後まで、一日一案、あたらしい取り組みに挑むべきではなかろうか。徐々に周囲からの反響も増えて、生半可なことでは皆に許されないという切迫感、責任感もあったのですが、それ以上に何より自分自身が「やりきった」と納得できる方法でしか終わりたくない。いつの間にか、そんな誠実な気持ちが芽吹いていました。
周りの評価ばかり気にして生きてきたわたしにとって、自発的な衝動が生まれたことは驚きの事件でした。この道場でずいぶん鍛えられていたんだなあ…。我ながら目覚ましい進歩だと感心しましたが、いつになく前向きになっている自分への何かおさまりの悪さも覚えました。突然意欲的になられたところでとても信じきれないというか、今まで怠け続けてきた自分の前科を考えると、「またまた〜」なんて肩を叩いて一笑に付したいような、黙って寝とけって吐き捨てたいような、疑念がこんこん湧いてきます。そしてそれはまた、「わたしらしさ」が損なわれることに対する必死の抵抗でもあるのでした。このわたしが前向きになっては、「自信のなさ、自身のなさ」に端を発した制作道場の根幹が揺らいでしまう。これはネガティブ名人として道を歩いてきた、というより川を流されてきた自分のアイデンティティ喪失に関わる大問題です。
前向き、後ろ向き、前向き、後ろ向き、前向きな後ろ向き、後ろ向きな前向き。
この一ヶ月、窮地に陥ったときは、いつも後頭部とマラソンで乗り切ってきました。
後ろ向きの顔に、前を向いたつま先。
制作道場の集大成は、前向きのわたしと後ろ向きのわたしとが交代で走ることにしました。
9月1日、朝の訪れ。
いよいよ、ここまできた。どきどきが波打ちます。
美術館に行く前に後頭部を剃って、画家の友人たちに顔を描いてもらいました。わたしの正面のこわばった顔を見て、口々に「くるみちゃん緊張してる? 最終日だもんね!大丈夫だよ!」と労られましたが、本当は胸の鼓動の正体は「坂口恭平に会えるかも!」から来る緊張でした。しかし事実を口にすると友人たちの士気が下がるので「レース前みたいな緊張感だよ……」とかほざいて皆の同情を買いました。
スタート前のストレッチ
後ろの顔が、見えますか
午前9時、号砲は山下さんの手で。おもちゃのピストルが、「スコッ」と言いました。
コースは美術館の前の砂利道です。その距離片道20m。前向きで駆け出して、行き止まったら後ろ向きでスタート地点まで戻ってくる。延々その繰り返しです。
前向きで走って
掲示板にチェック
そのままバックします走者は後ろ向きのわたし。
前向きと、後ろ向きとのリレーマラソンです。
後ろの顔が消えたら待機している画家チームやスタッフのみなさん、お客さんにお願いしてその都度顔を描き直してもらいました。叩き付ける土砂降りが、絵の具をあっという間に洗い流していきます。
後ろにもうひとりの自分があるために周りの方の手をさんざん煩わせてしまいました。消えてしまうと知りながら描いてもらった数々の面は首筋をつたって白いTシャツに染み、みすぼらしく淀んでいきました。
……すみません、書き終わらず。
「長くなるなら分けて書いてもいいんじゃない? そのほうが読者をひっぱれる。」
道場主の入れ知恵です。読者とかいるのか?
さっさと終わらせたいですが、でも、もうあきらめて寝ます…。
失礼致します
---本日の学芸員赤ペン---------
きっと昨日の興奮冷めやらず、涙涙の日記を書いているのではないかとうっすら期待したのですが、のっけから坂口さんと我々双方に軽く失礼な感じの書き出し。まあそのへんがくるみちゃんらしいといえばらしいのですが、もう28歳、いつまでも「らしい」で済ませていいんでしょうか。
・・・という意地悪を書けるのも最後の最終日。
くるみちゃんに有終の美を飾らせてあげたい。素晴らしいフィナーレを迎えさせてあげたい。美術館スタッフも駆けつけてくれたくるみちゃんの友人画家チームも、すべてはその一心で前の日の夕方から入念に打ち合わせし、当日も朝早く集合して、9時の号砲に向けて準備しました。開館時間の9時から17時まで8時間走り続けるという劇的な幕切れの演出としてこれ以上ないほどの土砂降りが、いやがうえにも大変さ気分を盛り上げます。
普段はやらないというストレッチを写真を撮るために行い、まるで競技大会のような緊張感。
いくよ、くるみちゃん。よーい、スコッ!
「マラソン」と「後ろの顔」という、若木くるみボキャブラリー中の最強コンビというべきこの作品は、美術館の前のほんの20メートルの距離を振り子のように延々と走って往復し続けるというもの。しかしそこに後ろの顔が登場することによって、単なる往復と意味が違ってきます。前向きに走るときは前の顔(若木くるみ)、後ろ向きに走るときには後ろの顔の人として、2人の人格が交互に走るのです。バトンを受け継ぎながら、行っては戻り、行っては戻る、終わりの見えない2人の交差。
例えば前向きな自分と後ろ向きな自分。例えば本当の自分と外から見た自分。例えば自由な自分と不自由な自分。例えば飛び立とうとする自分と誰かの何かを託された自分。
果たして2人は反目しあっているのか。それとも協力し合っているのか。運命共同体なのか。連帯責任なのか。
舞台装置の大雨が、見る見るうちに後ろの顔を流し去ってしまう。描いても描いても消える自分。それでも新しく生まれ続ける自分。果たして本当にそれは自分なのか。自分でなければ誰なのか。
次回感動巨編に続く!!
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子