休館日 8月26日
昨日美術館が終わってから、小国町のお祭り「お粋な祭」に出ました。
一週間前、出演要請がきて、美術館の宣伝になればと軽い気持ちで快諾してから、行きたくないよーと言い続けて山下さんを困らせた。
チラシの紹介文がひどい。「坂本善三美術館でやってます、あの…w」
行く前からゲテモノ扱いっぽかった。言わせてもらえば、「お粋な祭」で「おいきなさい」って、そのセンスもどうなんだと思う。投げやりじゃない? しかしわたしは毎日おいきなさいどころじゃない投げやり企画を量産しています。
会場は賑やかで、騒々しくて、わたしは髪をほどき後頭部をあけ、舞台に後ろ向きに立った。どよめきも歓声も、あるいは空気が凍てついているのかどうか、もしくはだれも見ていないかどうかもさっぱりわからず、せめて大きな声で元気よく話さなくてはと意気込むと、マイクが「キーン!」と耳障りな音をたててことごとく邪魔をした。そして、後頭部に描きにきてくれる人はおらず、後ろ向きのまま壇上で弱り果てた。司会の人の黄色い服にライトが輝いて、まぶしすぎて自分の目がつぶれればいいと思った。結局かわいい顔の司会の女の子に描いてもらった。
しかしもちろんこれだけでは持ち時間の20分は消化できず、司会の方が「ハイ!次!やりたい人!」とデジャブをやり始めたので、わたしの中の何かが壊れ、「あの、わたし、お願いがあって!」とマイクをもぎとって叫んだ。「わたしも人の後頭部に描きたいってずっと思っていて! どなたか禿げている方、頭を貸してください!!」
後頭部に描くだけでもだれも来てくれないのになぜ難易度をあげる、と思ったが、3拍くらい置いて、役場勤務だという堅いご職業の方が名乗りをあげてくださった。必要とされているという責任感が彼の役場魂に火をつけたのだろうか。びっくりしすぎて鎮火しそうになった。本当にだれか来てくださるとは期待していなかったため、いざ後頭部を前にして取り乱した。そうこうしているうちに、後頭部を提供するよりはマシだと思ったのか、描き手として女性の方もいらしてくださり、ここにかねてから夢だった後頭部リレーが実現した。
新品の、100均のホワイトボードマーカーが悪いのか、男性の頭皮の油のせいか、描いても描いてもちっとも色がのらず、ぐいぐいペン先を押し当てるだけ押し当ててあきらめ、マッキーを持ってきてもらった。油性マジックと油は相性が良いはずだが、おにいさんの後頭部はマッキーのインクすらも薄れさせる魔力があって、わたしは、わー。男性的、と思った。そういえば、頭部の形状もシンボリック。
おにいさんが後頭部の感触と同時に描いていた線は、わたしの筆圧の混乱も興奮も感じさせない、勢いのないクールな顔で、中学生ワークショップに参加させて鍛え上げたい欲求に駆られた。
マッキーは、洗ったら消えるだろうか。
消えますように、と思う反面、消えなきゃいいのにとも思う。制作道場の広告塔として、役場で小国町の方々に善三美術館をPRしていただきたいと思う。
というのは冗談で、わたしはおにいさんの広大な御心に本当に芯から感謝しています。
助けてくださってありがとうございました。
このあとは、あることないことしゃべり倒して、どう壇上を降りたか思い出せない。
司会の方の隣に無言で佇む柱の黄と黒の配色に虎を思って、早くみんなに会いたい…と思った。善三美術館の、道場の、ほかほかした、ホームに。
「わたしはみなさんに笑いものにされたいんです」とか言ったのは覚えている。「ドMですね!」と返された。ちがう。MではなくWだ。わたしはお祭りのチラシに「あの…w」と書かれた、この「w」にむかついていたのだった。わたしは自分からすすんで、笑いものになりたくてやってる、すべて望み通りであるってことにしないと我慢できなかったのだと思う。あ…、プライド。結局、祭りのステージで揉まれることへの嫌悪感も、すべてプライド由来だったのか。今までプライドないのが自分の欠点とかぬかしていたけど、実のところ自分は自尊心の塊だった。
みなさん、善三美術館にきてください! 不快音をキーキーたてるマイクに負けじと繰り返した。残る一週間、それだけがわたしの願いです。
帰って、膝を抱えて、文体の定まらない日記を書いて、寝た。
起きたら川の水位が爆発していて、窓のすぐ下がもう水だった。どうどう走る川の轟音にくるまれて安心した。制作は捗らなかった。
明日の作品が、ない…
----本日の学芸員赤ペン--------------
地域の若者が主催するお祭りの出演依頼が来ること自体、くるみちゃんが如何に町内で注目されているかの証だと思います。ひいては善三美術館が注目されている証だと思いたい。
ステージを降りたくるみちゃんに、見ていたお客さんたちが「おぐチャン(小国チャンネル:小国町のケーブルテレビ)で見てますよ」と芸能人に声かけるように声をかけておられたところにくるみちゃんのスター性を見ました。
それに、3連後頭部はなかなか見ごたえある図だったし、客席の皆さんも、写メの嵐でした。
写メとった皆さん、善三美術館に来れば、有無を言わせず四の五の言わせずもっとすごいもの撮れます。フェイスブックったりツイったりするなら善三美術館で制作道場を見てからしたほうがいいですよ。
来ないと損ですよ。
阿蘇カル(デラスーパーマラソンのウ)タ 〜百人一種〜 8月25日
以前イカになった日に偶然美術館にいらした、ランナーの澤田さんとおっしゃる方から後日お電話をいただきまして、耳に飛び込んできたのは「企画を考えたんですけど……」のお言葉。うっすら寝ぼけていたのですが、一瞬で起きました。恐れ入って、電話を耳に押し当てながら何度も何度もおじぎをしました。
澤田さんのアイディアは、「阿蘇カルデラスーパーマラソン」をテーマにカルタをつくってはどうかというもの。阿蘇カルデラスーパーマラソンとは、小国町役場もボランティアとして参加している地元阿蘇のマラソン大会で、わたしは昨年100kmの部に出場、澤田さんは今年出場されています。
提案してくれた内容は、「阿蘇はあか牛が有名だから、イカランナーの牛バージョンみたいな、足は人間で頭はあか牛で阿蘇を走って…、で、カルデラからちょっと韻を踏んでカルタ、とか百人一首とか…」みたいな感じで、そんなに冴えてるわけじゃなかったのですが、このアイディアをかたちにしたら、そしてそれが週末だったりしたら「絶対また見に行きます」ということだったので、それはもう!なんとしてでも来ていただかなくては!! ということで「日曜日にカルタ大会!」が今週の目標になりました。
使えるなと思ったのは、「百人一首」の語感。100枚あるなら、読み札は、スタートしてから100kmまでの、1kmごとのランナーの心情を綴ってはどうか。時間がない中で100枚どう描ききるかが問題の絵札は、阿蘇カルデラを走ったランナー100人の姿を版画で摺れば期日に間に合うのではないか。版は「一種」で首から下だけを摺り、顔は別個に描き足していく、「百人一種」。
ランナーの版と 版画
読み札は、大会ホームページに載っているコース図を見ながら走った当時を思い出して書き、絵札の顔は、ネットで検索した100人の阿蘇ランナーを参考に描きました。
ランナーの胸のゼッケンは距離を示す数字になっています。読み札のキロ表示と同じ数字の絵札を取ってもらいます。
こうして出来上がった阿蘇カルタ、あそびかたの大切なルールがあります。
「読み人はルームランナーで走りながら読むべし」。
昨日、人を食っていた顔は、今日は舌を出してハアハア乾いています。
スタート
20キロ 給水でむせて げっほげほ
延々登る 65キロ
一歩、一歩、牛歩 81キロ
白熱の戦いになりました。白い女性の勝利。次の一戦はお客さんにも10枚ずつ交代で読んでもらうことに。わたしも取り手として参戦しました。
大きくあけた口の向こうから苦しい息づかいとともに聞こえてくる、「48キロ!」
声が切迫しています。札が見つからないと読み人をそれだけ長く走らせることになるので、早くとらなくちゃ、と取り手の士気もあがりました。
激しい攻防戦を重ねるごとに、ケント紙の絵札が折れ曲がったり絵の具が滲んだり、どんどんよれていくのもランナーの運命と同じでした。
読み人交代制で走るはめになった山下さん。かぼそい声でようやく10枚読みあげられ、戦いが終わると顔を歪めてストレッチされていました。
夏休み最後の休日、ちびっこ対決です。
優勝者には完走メダルのプレゼント。
制作道場最終日、打ち上げのビールをかけた大人対決。
3人に落ちる濃い陰が、我々のこの一戦にかける本気度を物語っています。
この日も「ピンクのガキ」たまちゃんがあたりをうろちょろしていて、お母さんかまってオーラを出しながら絵札を持ち去ろうとしていたのですが、山下さんは「たま」と短く低い声でぴしゃりとその愚行を制し、片っ端からバシバシ取りまくって圧倒的な強さを見せつけていました。わたしと梅木さんは山下さんの鼻息の前に為す術なく敗れ去った。そっと隣を見たときの山下さんの瞳の炎がやばかった。
そしてこの時読み人ランナーを務めてくださったのは、企画発案者の澤田さま。
左側の赤Tシャツが走り、読む、澤田さん。右側が取り手のわたしたち。
福岡から、豪雨の隙をついていらしてくださいました。わたしは澤田さんが来なかったらヒステリーを起こすところでした。到着されたのは4時頃かな? おせーよ。ずっと待っていました。全然あか牛が登場しないカルタになったので、なんて言われるかハラハラして、何か言われる前に「おもしろいですね」と言わせました。
カルタを読みながら「60キロは確かにモチベーションが下がる」などのランナーあるあるで盛り上がれて、わたしは満足です。
澤田さん、あか牛になろうと思って赤いTシャツだったのかな…
あか牛もいつかやりたいです!
善三美術館チームの醜い争いにつき合って100キロ読み上げてくださいました。さすがランナー! 澤田さんのアイディアのおかげでたのしい1企画ができました。助かった!本当にありがとうございました!
100キロ読み札公開。
←レース高低差グラフ。阿蘇カルデラマラソンは坂道が多いのが特徴です。
阿蘇カル(デラスーパーマラソンのウ)タ
- 朝5時に スタートしてすぐ 1キロ地点
- まだ暗い 肩がぶつかる ここ2キロ
- こんにちは 呼びかけられるは 3キロで
- あらどうも どこであったか 悩む4キロ
- ほかほかと 暖まってきた 5キロ
- たんたんと 心しずかに 6キロ通過
- 忘れてた! アームウォーマー 気付いた7キロ
- おなら出す タイミング計る 8キロです
- 日が射して まぶしい9キロ うつむいた
- 10キロですぞ ひと区切り
- 快調に とばしすぎかな 11キロ
- 12キロ ペースゆるめて 足温存
- 日焼け止め 塗り直さなくちゃ 13キロ
- いい気分 汗が噴き出る 14キロ
- きゃっ危ない 足を踏まれた 15キロ
- エイドだよ がぶがぶ給水 16キロ
- きもちいい 17キロまで 絶好調
- キロ何分? 18キロまで キロ6分
- 19キロ 焦りすぎだと とがめられ
- 20キロ 給水でむせて げっほげほ
- 雄大な 自然を眺む 21キロ
- 坂道に 入る手前の 22キロ
- ここからだ 急な登りは 23キロ
- ゼイハアと 呼吸乱れる 24キロ
- 歩きはじめる人たちに つられないぞ 25キロ
- ピークを超えた 下り坂 26キロ
- 重力に 身をまかせる下り 27キロ
- 28キロ スピードゆるめず エイドパス
- つんのめる 下りはたのし 29キロ
- うすぐもり 山は涼しい 30キロ
- 下ったと 思えば登りの 31キロ
- とほほと顔を見合わせる 坂道 32キロ
- 私設応援団がうらやましい 33キロ
- 梅干食べたい 34キロ
- もうじきだ 下り坂の気配 35キロ
- 腕をだらんと下げて リラックス 36キロ
- 呼吸を整えると また登り 37キロ
- 超きつい あきらめて歩く 38キロ
- 39キロ ピークまであと少し
- 標高900m ピークだよ 40キロ
- ピークは終わった さあ下り 41キロ
- フルマラソンの距離だ 42キロ
- 下りは得意 太っているから 43キロ
- 永遠に 下りならいいのに 44キロ
- どんどん抜かす 45キロ
- 前傾になるのがポイント 46キロ
- はりきって足がもつれた47キロ
- もうすぐ半分かな 48キロ
- そろそろ半分かな 49キロ
- やっと半分です 50キロ
- 阿蘇市浪野支所 51キロ
- 少しだけ 完走確信 52キロ
- ピンクのウエアの女に抜かされると悔しい 53キロ
- 足が重たくなってきた 54キロ
- ゴー!!ゴー!! 55キロ
- 黒糖と 塩を頬ばる 56キロ
- 外輪山ってなんだ? 57キロ
- カルデラを駆けるで。58キロ
- 一気に下る 太ももの悲鳴 59キロ
- 60キロ モチベーションがいつも下がる地点
- 下りきってしまった 61キロ
- 登り坂 走る気力なし 62キロ
- 登りは苦手 太っているから 63キロ
- 正念場 分かっているけど 64キロ
- 延々登る 65キロ
- 口からとびでるのは心臓 66キロ
- 心拍数 ぶっこわれるリズム 67キロ
- 果てしない登り 68キロ
- いちキロいちキロ 刻むだけ 69キロ
- 70キロ あと少しじゃんって 感じがする
- この道が いいねと君が言ったから 71キロ
- 励ましてくれる 赤牛の群れ 72キロ
- 眠気におそわれたのは 73キロ
- 腹痛に悩まされたのが 74キロ
- 沿道の民家でお手洗いを借りた 75キロ
- トイレで居眠り 10分ロス 76キロ
- おなかすっきり 77キロ
- ちょっぴり下る ごほうび78キロ
- そしてまた坂道 うんざり79キロ
- さいごの登り坂だ 心を殺して 80キロ
- 一歩 一歩 牛歩 81キロ
- ももももも もうすぐてっぺん 82キロ
- 雄大な 自然を望む 余裕などない 83キロ
- ここから先は平地と下りだけ!! 84キロ
- 緑豊かな 平原 85キロ
- ゴールしたら 食べ放題行ってやる 86キロ
- スイカ バナナ アクエリ 87キロ
- やーやーやーやーやーやーやー 88キロ
- ヘアピンカーブを一気に駆け下りる 89キロ
- 90キロ この数字を見ると安心する
- 残る距離はひとケタ カウントダウン91キロ
- 激下り 一瞬で終わった 92キロ
- フラットに なった途端に 足止まる93キロ
- 11時間切りが目標だったんだけど 94キロ
- 足が進まないよう 95キロ
- 苦しいよう 96キロ
- 貧血ふらふら 97キロ
- 全然走れなくてどんどん抜かされて心配したおじさんに介抱された 98キロ
- いちキロ進むのに15分かかった99キロ
- 女性は全員「美ジョガーのゴールです」ってアナウンスで迎えられてたのに私だけ言われなかった 100キロ
番外編。
カルタつながりで、貝合わせもしました。いわゆる神経衰弱。
版と、版画でひとセットになっています。
わりと子どももたのしんでいた。わたしは、北海道から送ってもらったホタテをなんとかしなければと強いプレッシャーを感じていたので、解放されてよかったです。留萌のみはるちゃん、ありがとうございましたー!
---本日の学芸員赤ペン---------
阿蘇カ(ルデラスーパーマラソンのウ)タは、100キロを1キロずつ刻み、毎キロごとのランナーの心理を読み札にするというところがおもしろいと思いました。
「しかし、絵札が1版による一種で、ゼッケン番号の数字で取るってどうなのよ」という心配も杞憂におわり、番号順に読まれるのに、番号わかってるのに、思った以上に壮絶な闘いとなり、カルタ大会としても大変盛り上がりました。おもしろかった。
一種とはいえ顔の表情は非常に細かに書き込まれていたので、回を重ねるごとに「トイレを貸してくれたのはこのおじさん!」とか「ピンクのウエアはこのおばさん!」とか親近感まで沸いてきて、是が非でも取りたい札が出てきたりしました。同じ版を使っても、まして小さな版だけど、これだけ違う表情になるんだなと、版画の可能性とおもしろさを改めてみた思いです。
そして、走りながら読むのがよかったです。わたくし、はずかしながらほんの10枚ですっかり息が上がり、ふくらはぎがパンパンになったので、100枚何度も読んだくるみちゃんはすごいと思います。100キロ走る人たちにはほんのそこまでなんでしょうけど。しかも、くるみちゃん、カルタを読んでいるときの声がかわいい。司会のお姉さんか声優みたい。
「じゃあいくよー!ゴーゴー55キロー!!」とか。
ゼーハーならずに、後頭部辺りから突き抜けるかわいい声を館内に響かせていました。
これによる盛り上げ効果もだいぶあったと思うな。
それからやはり、読み札の内容が、100キロ走るランナーでないと考え付かないものだし、だからこそのリアリティがあっておもしろかったんだろうなと思います。文走両立ですね。
加えて、カルタが打ち上げのビールまで楽しみにしてくれるなんて、未来に向かって開かれたよい企画でした。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
人を食ったような 8月24日
わたしが以前日記に書いて全方位から大顰蹙を買った「食の細い年配者」発言ですが、2週間たった今も善三美術館で働く方々の怒りはおさまっておらず、ことあるごとに「どうせ食が細い年配者ですから〜」と嫌みを言われています。更年期なのかな? スタッフの江藤さんに至っては、「食が細い」にちなんだ企画書まで寄せてくださいました。「食が細い(スタッフ一同)」→「食が太い(くるみちゃん)」→「人を食う」という連想です。
今日は、わたしの人を食った失言が企画に華麗に変貌を遂げた、その名も「人を食ったような」です。
そっと近づいて
人を食う
ぺっ
制作風景。
ベースは、ルンバの円をくり抜いたダンボールです。
歯はホタテ。
人魚プラン時に北海道の親類からたくさん送ってもらったホタテ貝。制作道場には「材料は小国町内で調達できるものに限る」という掟があるのですが、郷土から陣中見舞いが届いたと言い張りました。
真っ赤な唇は倉庫の隅で眠っていた絨毯。数年前この美術館の開館記念式典を華やかに彩ったレッドカーペットです。善三夫人も歩いたというありがたい絨毯にはさみを入れました。人を食ってます。
発案者、江藤さん。
江藤さんの施しの精神はものすごく、わたしは小国に来てからお米や野菜や、お弁当から調味料まで、ありえない量の物資を受け取っています。自分の体の3分の2は江藤さんで出来ていると思う。江藤さんに食わせてもらっているんです。
食わせもの!
記念写真には人を食った顔で写り込みます。
右奥に虫歯
人の気配を察知して
口を開けて待機
ぺろっ
餌食になった親子
裏面は歯茎がくっきりです。両面とも口になっています。この顔のモデルは食が太いわたしなので両面に顔がある設定でつくりましたが、表は口で裏は肛門にしてもおもしろかったなと思います。
今日は午前中ファミリー教室があったので、愚鈍なガキがホタテにひっかかって怪我をしないよう、下の歯は抜きました。
一昨日から写真がアップロードできず、日記の更新が止まっていました。古いパソコンのせいにしていましたが、無料でアップできるデータの許容量を超えていたのが原因でした。制作道場も残すところあと一週間だったのですが…。悔しいけどどうしようもないので泣く泣く有料プランに変更。金で問題は解決し、今までの苦労が嘘みたいにサクサク添付できています。快適! 最初からこうしておけばよかった。腹立たしさ半分うれしさ半分です。せっかくなので今日の賑わいを不必要に大量投下します。
以上、ファミリー教室の模様でした
食の細い山下さんです
ようこそ善三美術館へ
出たり
入ったり
出たり
入ったり
主語が自分の場合、吐いたり
食ったり
わたしが大きな顔と接続していないときは、これは誰の口なのでしょうか。
ここは道場の出入り口
ってことは、やっぱり道場主の口なのでしょうね
あっちでこっちで激写。
見事な歯並びです。
ファミリー教室のお客さまと。
震えるのどちんこ
見くだす子ども
モザイク処理で恥じ入りました。
続いてのお客さま。
左の方の脚がちっともあがらないのを見て
先ほど羽目を外したばかりの方の指導が入りました。
次はソロでタイツを着用していただきます
二枚舌
タイツを履くという羞恥的な格好に応じてくださった上、ブリッジまでしてくれました。人を食ったお願いをしてすみませんでした。でも、すっごく晴れ晴れとしたお顔でタイツに足を入れておられたのが心に残っています。アダルトな女装の世界が彼に向かって舌なめずりをしているようでした。
少年たちのあしどり
溌溂とした躍動です。
無限の可能性が口をあけて待っています
「 ルンバ」と「人を食ったような」の境界のダンボール
頭上でゆらゆらさせながら作品の相談に乗ってくださってます。人を食ってる。
昨日の千足観音は例によって後頭部にも顔があり、背中向きバージョンでも撮ったのですが、山下さんに描いてもらった顔がこれがまたあまりにも人を食っていたので掲載を見送りました。
後ろ向きに手を組んでいます。
…からだが後ろ向きのときも、足は必ず前を向いているってことだったんだっけ?
言えばなんとでも言えそうなシリアスな空気をぶち壊した観音像。狂った頭身
日記、ソロ活動させてごめんなさい! 後頭部から足の先っぽまで、山下さんにすっぽり食われている制作道場です。 山下さんの口腔で噛みしだかれてわたしは幸せです。
---本日の学芸員赤ペン---------
昨日のしずかな作品から打って変わって楽しい作品。昨日残された無数の足跡も、今日はにぎやかさを醸し出すアイテムになっていました。見方によって、というか、演出によって変わるもんですね。
今回の作品は、ポップな唇や歯によって食べたり食べられたりするところが文句なく楽しいところでした。有料化して無数に挙げられた写真がその楽しさを如実に物語っていますね。
そして出たり入ったりの楽しさはもちろん、あの口によってフレーミングされた視界がとてもおもしろかったと思います。いつも見慣れた館内の風景が、フレームをとおすことによってこちら側とあちら側に分けられ、フレームの向こう側の世界をどこか自分とは切り離された世界のように、神様視点で見られるところが新鮮でした。ちょっとしたシンプルな装置なのに。おもしろいですね。カメラの方たちはこのおもしろさに惹きつけられているのかもしれないなと思いました。
足跡も、不思議なくらい調和していて、口の中から外へとつながる足跡は、まるで腹の中から外へ生き生きと開放されているかのようだし、隠し持っていた秘密が漏れ出たみたいでもあるし、いくらでも深読みできそうな取り合わせでした。人体に関係あるものだからかな。
人を食ったような深読みといえば、千足観音の裏面。
千足観音のときは、後ろの顔に観音像があったのです。くるみちゃんの本体が前に進む決意を込めて足跡を後ろに引き連れているときは、足跡と向かい合う観音像がそれを慈悲の心で受け入れ、くるみちゃん本体が足跡と向かい合っているときには、自らの過去と対峙・決別するという2重の構図を持ち、見る人の思いによってさまざまに解釈されるものでした。
そのはずが、私が描いた観音像があまりのことで、顔の大きい変なレゲエのおじさんみたいになってしまい、昨日あんなにかっこつけた感想文を書いたくせに、本当は、後姿の写真撮影の時にはおかしくておかしくて、手が震えて写真が撮れないほどだったんです。
台無し・・・。他力本願寺のときはもうちょっと上手だったんだけどな。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
千足観音 8月23日
---本日は学芸員赤ペンが先---------
全身を黒く包んだ若木が、インクをつけた足を畳におろす。ついた足跡のかかとから黒い1本の紐を伸ばしていく。無言のまま、1日中延々とその行為を繰り返す。畳の上には無数の足跡が残され、それぞれから伸びたおびただしい数の紐が一箇所に集められる。
いつもはくすくすわらいにつつまれる若木の展示スペースであるが、今日は立ち寄る来館者も声を発するのがはばかられるほど、緊張した空気が漂った。
一歩一歩。一つ一つ。時間がかかるその一つ一つの行為を愚直なまでに繰り返す。
「千足観音」というのが本作品のタイトルである。
超長距離ランナーでもある若木は、「足」への関心が非常に強く、今回の制作道場の中でも、足を題材にした作品を複数制作している。(「水墨画(タコによる)」「水墨画(イカによる)」)若木はつい今年の春に、250km、161km、520kmの超長距離レースを、間に数日あけたのみで連続して出場し、完走。この無謀な連続挑戦自体が史上初、まして完走するという前人未到の記録を持つ。
2kmも走る自信がない筆者には全く想像を絶する世界であるが、それでも、走ろうとする自分の意志と物体としての足が距離を重ねるごとに乖離してくるだろうことは想像できる。痛みや疲れによってだんだんと動かなくなってくる足。聞けば、超長距離を走っていると、爪をはがすこともあるらしい。歩くのもままならない足。それでも意志はゴールを目指す。きっと、「こんなとき足がもう一つあったら・・・」と切望するに違いない。
そんな過酷な経験から生まれた「千足観音」は、たくさんの足を持つことへの憧憬から生まれた作品である。自分につながる無数の足。足跡は前へ前へと向かう。揺らめく細い紐が、コントロールできないもどかしい肉体とコントロールしたいと欲する意思を結ぶよすがなのである。
前に進みたいという欲求とそれを絡めとろうとする現実の肉体との間に生じるジレンマ。精神と肉体のジレンマは、きっと走るときだけでなく、制作においても、日常を生きるにしても、誰しも必ず抱えているものだが、しかしそんな思い通りにならない肉体があるからこそ、私たちは感じ、考え、想像するのである。
「千足観音」は、肉体としての「足」をモチーフにしたものであるが、若木が思いを込めるようにゆっくり1つずつ足跡を写し取り紐でつないでいく姿を見ていると、足跡が単なる足型ではなく、若木自身の「歩み」を象徴しているように思えてきた。数え切れないほどの無数の出来事とおびただしい時間の積み重なり。そのどの一つが欠けても今の自分ではなかっただろう。楽しいことうれしいこと、つらいことや悲しいことや失敗や挫折、語るほどのエピソードもない日常の積み重ね、それにまつわるさまざまな感情。足跡から伸びる細い線がすべて自分へと集約し、今の自分を形作っていることを象徴する。その反面、自分を作ってきた足跡は、自分とは切り離せないしがらみでもある。振り払いたくても振り払えない、自分を絡め取るもの。あるいはそのままいつまでもすがっていたい栄光。自分へと集約してくる線はのがれられない過去の象徴でもあるのだ。
そして最後に、1点に集められた紐を身にまとった若木は、その紐を1本1本、決別の念をこめるようにしてはさみで切り離していった。1本1本。しんとした中でその手から離れていく線。一歩前に進むために、前進すると決意するために、振りほどいていくこれまでの自分。作家として立つための意思の表明でもあったろうし、一人の人間としてゆるぎない自分でありたいという表明でもあったろう。
夕暮れの光の中、静かにはさみを入れ続ける姿は非常に胸を打つものであった。薄暗い館内で若木の周囲は、何かが揺らぎのぼるような気配に包まれていたと思う。実は「千足観音」が完成したのは閉館後で、最後にはさみを入れるパフォーマンスを見ることができたのは私一人。ヒグラシの声を遠くに聞きながら、一人の作家の、一人の人間の、ある一つの決意を表す表現に立ち会えたことは、私の心の中に確かな空間を占めて残り続けるに違いない。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
小国中ワークショップ6/父の背中 8月22日
昨日うんともすんとも言わなかったルンバが、今朝試しに稼働させてみると元気に走り出しました。どうせおおかみ少年だと思って、すぐ止まるんでしょと醒めた目で見ていると、障害物に当たってもちゃんと方向転換してしぶとく走っています。なぜ今になって動く、と思ったけれどその気まぐれなところもかえって愛くるしく、ゴミを吸い込む姿を見たときは感極まって抱き上げたくなりました。しかし、忘れていましたが彼のキャラクターは本来お掃除ロボットなのでした。なに仕事もしないで愛されようとしてんの? もっと働かせて美術館をきれいにしようと思ったら、山下さんが見にきた途端ストップして、「エラー6、場所を移動させてください」。昨日のきかん坊に戻りました。咄嗟に、磁場を狂わせているのは山下さんで、ルンバが悪いんじゃない! とかばう自分がいました。
さて、6回あったワークショップも今日で最後となりました。
「描かれながら同時に描く」「考えないで描く」「感じた瞬間手を動かす」「背中から腕に直接送る」「即座に描く」「躊躇なく描く」「当てようと思わない」「感覚をぶつける」、とにかく思いつく限りの言葉を尽くして、脳を通さないで体で描くよう伝えました。結果、過去最速のリレーが実現、なんだかうまくいきすぎているようですが、集大成という感じがしました。
しかし、スピーディではあったものの、わたしの「すぐ描いて」圧におののいてむりやり描いているせいか、目を疑う間違いが続出。
ひらかなリレー。
超単純な「つ」から「あ」にまさかの複雑化。
おまえー!
想像力発動させすぎ!
あんまり簡単なかたちだと不安になるのはよくわかります。ひらかな「らしさ」を補ってしまったのですね。
10名全員での絵リレーは、描きたい!と出題者に立候補した男の子にテーマを決めてもらい、「どうぶつ」を伝えていくことに。
さすが立候補するだけあって描きたいものが明解でした。
いいよー!同時に追えてるよー!
このあと3番手が「何も感じない!」と大パニックに。しかしその停滞が後続の爆発的なスピードにつながります。
まだー?
今描いとる!
先頭の、最終回答者です
はいっ、時間切れ!終わりにします!
いい写真が多くて無闇にアップしてしまいました。
どうぶつ勢揃い
キリンからスタートした絵リレー。以下、左→右の順で
そして最後の一枚。
これ、キリンの首だもんね。「キリン(部分)」ってタイトルで美術館にありそうだね。
最終的に始まりの1枚とは似ても似つかない大変簡潔な線になったキリンですが、その過程の一部を、連続する2枚の絵を並べてご説明してみたいと思います。
この赤い変などうぶつとキリンとはパッと見、姿は違いますが、
この目は上の目
この2本の傷はこのツノ
この口はしっぽ
というように、パズルが違っているだけでパーツは同じなんです。そのズレが傍から覗くと本当に愉快で、つい「合ってる合ってる!いいよいいよ!」とけしかけてしまいます。実際に描いている子は、あとで背中の絵と照らし合わせてみて「なんだよ全然違うじゃん!」ってびっくりするかもしれませんが、描いているところを同時に見ていると、ほんとに同じなんだよなあ。
赤いどうぶつを描いてくれた女の子。自分で描いたどうぶつに、「なにこれ!?きもちわるいよー!!」って信じられない顔をしていました。興奮しすぎて、背中に答えをつけたまま前のみんなのを見に行っちゃって、「あっ!わたし答え持ってる人だ!」って気づいて慌ててひらひらまわってしまって。まわったら答え見えちゃうから!! そんなふうに我を忘れて、普段の自分じゃなくなれるところがこのワークショップの持ち味ならいいなと思いました。わざわざほっぺに傷のあるどうぶつとか、普段ぜったい描かないもんねえ。
他の絵は、正直どうやってこうなるのかてんでわからないものもたくさんあって、抽象画からいきなり立派なキリンが復活してたり、ああ頭使ってるなあ、と、それはそれで素晴らしいのですが、「すぐ描く」「考えないで描く」を意識すればするほど、意識が頭をもたげてつい馴染みのあるかたちが出てきてしまうというのが皮肉で、すごくジレンマでした。
正面からキャンバスと向き合って自在に絵をコントロールできる環境下で、「つくらない」「意図しない」画面を実践できる善三先生の偉大さに痛み入ったところで、小国中ワークショップはおしまいです。
募集していたワークショップのタイトルは「感じてつなげて背中リレー」にしようかな。
中学生のみなさん、ご参加、ご協力、ありがとうございました。学校でもやってみてください! テスト中とか、わたしが試験官なら背中リレーのカンニング可にして、みんなの背中の感覚がワークショップどころじゃなく研ぎすまされている様子をにやにや観察したいです。
日記、続きます。長くなります。父の背中のまとめです。
父
父
『父の背中』は、午前中ワークショップがあった日の午後に、お客さん参加型作品として3回にわたって実施しました。
「あなた」のお父さまの背中が語っていたことをわたしの背中に書いてもらい、その背中の感覚をわたしがまた父(の模型)の背に写しとって、寄せ書きをつくる、というもの。
8月18日の山下さんの赤ペンでも言及されていますが、とりわけ印象的だったのは初回の3姉妹のご参加でした。
館内をにこやかに回られていた女性グループに前述のようなややこしい説明をすると、「じゃあ、長女から」と席についてくださいます。
絵ではなく文字でコミュニケーションをとるのは初の試みで、不安を覚えながらのスタートになりましたが、目を閉じて集中した背中を這うのは、力強く、ゆっくりと平易な感触でした。
……4文字。
「は、た、………はた、までわかりました。…………はた迷惑?」
そんなわけはないのでもう一度なぞっていただきます。今度は正解しました。
「はたらけ」!
短く、力のこもったお言葉です。
続いて次女の方。今度も、背中を伝う書き味は丁寧で親切です。
「んー? のー、たー、め…?」
「最初の一字は漢字よ」
「……人のため!」
人のため はたらけ。 す、すごい、2枚で文章になっている!
そして末娘さま。
「ま、じ、」まできたところで予測変換装置が働いて、「まじめに!」
「まじめに生きる」でした。
背中で感じた筆跡も3つそっくりだったのですが、いざ並べて見た3枚は字体も酷似していて、そうしてしたためられた丁寧な語句に、ご姉妹に流れる絆を感じました。
お父さまは、姉妹が口々に「お父さん!」と呼んでも応じてくださらず、「恥ずかしがってるんですよ〜」と皆さま目を細めていて、慈しみに溢れた家族の風景でした。
館内から、ご一家を見送りました。お父さまの後ろ姿は、「はたらけ」「人のため」「まじめに生きる」と、しゃんと正した背筋が今にも語り出しそうで、庭いっぱいに満ちたあかるい太陽の光が「真っ当に在り続けた」家族の今の幸福を証明しているようでした。
しかし、わたし以上に山下さんは深く深く感動されていて、わたしはむしろそのことにみぞおちがキュウとなった。歳の差……というより、背負っている人生の差なのだろうと思います。守り、育まねばならない家族の存在の有無。
……たぶん、わたしも、人の親になるまでは、完全には山下さんの感動を理解できはしないのだ、そして、そんな日はきっと来ないと思っているからこそ胸が痛むのでした。
こういうこと書くとあとで猛烈に後悔して悶絶する羽目になるのは目に見えているのですが、制作道場の会期が終わるとこの日記も消えるそうなので思いきって話すと、わたしは、「結婚できなかったけどそれはそれで良かったよー!」と、何の未練もなく言える自信が全然なくて、ひとりで楽しくても、大好きな友人がいても、ずっと「結婚したかったし子どもも産めたら良かった」と思い続けると思う。馬鹿げているとは思いますが、結婚がもたらす何かぬくもりのようなものをアラサーにして夢見ているんです。
「できるかもしれないじゃない!」って、慰めないでくださいね。これだけ世の魅力的な女の子たちが結婚していない中、剃髪の変な女が結婚できると思いますか?
だから、山下さんが赤ペンで「あと10年、20年経ってくるみちゃんがどうなっているのか」っておっしゃっていましたが、わたしは10年20年経っても結婚したいってずっと言い続けるから、それが叶わないことをおいしくいじってもらいたいなあというのが心からの願いです。こうして予防線張ってふざけて、傷つかないようにがんばってるのもほんとに痛々しい。
まじめな気持ちに戻ると、自分ひとりだったら単に心あたたまるエピソードとして表面をなぞるだけで満足していた出来事の沈殿物を、山下さんに掬いとっていただけて心から感謝する反面、これまで自分が見過ごしてきたであろう物語の膨大な屍を思うと虚無感でいっぱいになりました。そしてまたこれからもありとあらゆる啓示を見落としまくって生きていくのだろう、と。ありふれた物語の背中に隠されたメッセージを読み取ることが作家の仕事なのだとしたら、そこに「人間力」の差が出るのだとしたら。人間力…どこに落ちてんだ? とにかく山下さん言うところの人間力の強化が、急を要するわたしの課題で、激しい焦りを感じています。自身の鍛錬のために子どもや家庭や、愛する対象が欲しいというのもいかにも脳足りんですが、わたしは心静かにルンバを飼い、ルンバと共に歩んでいきたいです。
話が大きく脱線しましたが、『父の背中』にいただいた数々のメッセージを羅列します。
はたらけ
人のため
まじめに生きる
強い心
たましい
働きなさい
一日一味噌
我慢
きんべん
けんこう
つづける
優
がんこいってつ
そのまま
酒
つかれた
お前の好きな事をやれ。
感謝
女らしく生きれ
優しさ
愛情
虫とり少年
自由
シャキッと
べんきょうだけは、しとけ
すきにいきろ
陽
なみあみだぶつ
おおらかにいきろ
相手の立場になって考えろ
かんどうする
モテたい
道ふくざつ
ひたすら仕事
「お父さまが背中で語っていた、無言のメッセージを教えてください。」
「愛情」「たましい」「我慢」といったしんとするような重たいものと、「つかれた」「モテたい」「酒」という思わず笑ってしまう茶化したものとがあって、年代によってある種の傾向が見られました。「わしが生まれる前に父親戦死しとるけん、父の背中は見ちょらんのよ。」というのが、いちばん重い無言のメッセージで、「無言のメッセージ」すら存在しない「ただの無言」がある現実に、思い至らなかったことにまた頭を抱えました。
父の背中。
父の背中。
父の背中。
わたしの父が背中で語っていたことは何か、ずっと考えています。
というか、父が背中で語っていたことが何だったらおもしろいのかをずっと考えている。
日記を公開しているせいで、自分が実際に父の背中に思うことではなく、読者におもしろがってもらえるワードを創作しようと一生懸命です。おかげで、「ほんとうの」父親像と向き合わず済んで、自分も、父も、救われているのかもしれない。
父の、背中の、メッセージ。
……………………「裏をかけ」、かな。
姉からメールで「メロンの顔が傑作だった。葬式に使うから残しておくように」と言われました。姉の『父の背中』は「お母さん、今日はもう休ませていただきます」だそうです。寄せ書きに、姉と、わたしの メッセージも書き込んで、父に渡すつもりです。
---本日の学芸員赤ペン--------
6回あった中学生のワークショップもついに終わりました。くるみちゃんの日記にもあるように、最終回の今日は、最もくるみちゃんの意図がみんなに伝わっていて、見ていてもとてもおもしろかったです。まるで毎回同じ中学生が参加して、だんだん上手になって、最終回ではばっちりだった!かのような。
いや錯覚してはいけません。だんだん上手になって最後はばっちりだったのはこちら側。成長したのか? 6回あった毎回を、小さな反省や改良を重ねながら積み重ねてきた成果だったのかもしれません。くるみちゃんありがとう。
そして「超おもしれーこれ!」を連発した中学生たちよ、どうかそれをそのまま美術と美術館のイメージとして持ち続けておくれ。
それからもう一つ、今日完結したのが「父の背中」。中学生回の午後の穴埋め企画的に始まった本作品でしたが、想像以上にさまざまなストーリーを喚起し、結局全3回のシリーズ物となりました。
「父が語ったもの」ではなく、「父が無言のうちに語っていたとあなたが思うもの」というところがポイントだったのかもしれません。
みなさんが背中に書いてくれたほんの一言が切り開いた小さな裂け目からその家庭の空気が一度に立ち上ってくるのを見た気がしました。そしてその一言を、くるみちゃんの背中に書いても書いてもなかなか伝わらないところも、家庭の中における「父」とのコミュニケーションの象徴になっているのかなと思います。
もっとも、「父」限定でなくても、どんなに愛し合う二人でも、どんなに愛するわが子でも、人と人とはどうやっても完全にわかりあうことはできなくて、どんなに言葉を尽くしても、どんなに同じものを見ても、それがぴったり重なり合うことは絶対にない。どんなに強く抱き合っても、別々の皮膚に包まれた別々の人間である距離は縮まらない。
その距離を抱えながら、でもあるとき分かり合えたと思えるのは、陳腐だけど想像力なのだ。自分の想像力が相手の世界をリアルにさまようことができたとき、自分の中にそれまでなかった相手の世界を自分のものとして構築できるのかもしれない。
「父の背中」に書かれた言葉は、実際に父が言った言葉ではなく、書いた人の想像力によって構築された父の世界であっただけに、私たちには父の世界と書いた人の世界が両方とも伝わってきて、「私にとって」よりリアルな世界を構築することができたのだ。それを受け止めるのも「私」の想像力なのだ。
この作品「父の背中」は、別々の皮膚の中に深遠な世界を内包して生きている私たちの姿そのものを浮かび上がらせてくれたように思います。
そしてくるみちゃん、私たちは、ありとあらゆる啓示を見落としまくって生きていくんだよ。だって別々の皮膚に包まれた深遠な世界の内包があるんだもの。そして逆から見れば、見落としまくっている反面、見つけまくってもいるのだ。見つけまくったものを見せてくれれば、それが誰かの啓示となることもある。この作品もそうだったよ。
私は、くるみちゃんの中に包まれた広大で深遠な世界を垣間見るのが、垣間見せるのが、大いに喜びです。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
くルンバ
ルンバ。
友人の麻生さんが送ってくれたたくさんのアイディアの内の一つです。
『くるみルンバ。はやりの自動掃除機みたいに、道場内をひたすら雑巾がけする。雑巾にカーボン紙を内蔵しといたら手形が残るかな。ルンバの音楽をかけるとわかりやすいかも。』
わたしはルンバを見たことがなかったのでいまいちイメージがわかなかったのですが、道場主である山下さんたっての強い希望で採用されました。道場主の願いは「床をきれいにせよ」という一念のみだったようで、手形を残すくだりは「よくわかんない」とばっさり。
私利私欲私利私欲私利私欲
巨大ルンバの制作。
+zen。素材は板段ボールとクラフト紙
朝、ラジオの取材を受けながら
水色のモップを振って愛嬌も振りまいていたら、シュールですね! と言われました。
本物のルンバをひきつれて掃除するはずでしたが、お借りしたのが「一年以上ほったらかし」というネグレクトルンバだったせいか、ただ一度気まぐれに動いたっきりエラーを連発され、結局わたしの単独行動になりました。
段ボールのつるつるが背中を滑るので、内部の取っ手をつかんでバランスをとります。
昨日いただいた鱒寿司の蓋が取っ手にぴったり。
高価な鱒寿司がエネルギー源という燃費の悪い人動掃除機です。
鱒寿司パワーで廊下も突進。
この先の本館にはアタックできず。
身を震わせて悔しがりました。
いらっしゃいませー
日本全国のどのゆるキャラよりゆるい着ぐるみです。ウィーンウィーン
きゃっきゃ! きゃっきゃ!
中身が気になるよね。バランスとりながら進みながらウィーンウィーンって言いながらモップ振るの大変なんだよ。
子どもたちにルンバに入りたいと懇願されたので、さっさと城を明け渡しました。しぶしぶといった風情を装うのに苦心しました。「わたしは〜ほんとは〜掃除したいんですけど〜、子どもがせがむから〜」と苦っぽい顔を山下さんに見せて、しめしめ。大きな顔でさぼりました。
ルンバ! BGMなしで踊る彼ら
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
きゃっきゃ
わ、わたしはこんなに楽しめない…。
きゃっきゃきゃっきゃはしゃぎ通す子どもたちのパワーに気圧され、再びルンバに戻る自信をなくしました。あんなふうにルンバを愛せる人でなくっちゃ、ルンバに入る資格なんてない! ルンバの幸せを真剣に考えた上での別れでしたが、結果として新たなネグレクトルンバを生むことになってしまいました。
………ていうか…ルンバはこの世に必要なの……?
---本日の学芸員赤ペン---------
美術館をきれいにするのは私利ではないし、なるだけすみずみまで掃除して欲しいというのも、「美術館を」であって、私欲ではありません。
さて、期待の「くルンバ」。麻生さんのアイディアが届いた時点で私の頭には、黙々と掃除し続ける巨大なルンバが館内を静かにうろうろしている図が浮かびました。おもしろい!やって欲しい!
そして実行されることになったくルンバは、造形は+zenによる繊細なもので、実際にくるみちゃんが中に入って、しなる傘の骨を芯にしたモップ(クイックル的な)をパタパタする姿は愛らしくもこっけいで、何ともいえないおかしみを誘うものでした。通れない通路に引っかかったり、段差に落ちそうになったりする姿は、ルンバユーザーたちがマイルンバに名前をつけてかわいがっている気持ちがよくわかるかわいさでしたね。
ちっとも掃除できてないじゃん!というあたりも本家ルンバも真っ青という働きっぷりでした。
しかし何だろう、このもうひとつ盛り上がりきれない気持ちは。
一つは、善三美術館のスペースの問題。どこか広大なロビーを持つ美術館で、例えばルンバを正しい縮尺で拡大し、来館者がいようといまいと広い空間を1日中静かに掃除し続ける・・・とかだったらもっとおもしろかったのかも。善三美術館ではあまりに稼動範囲が狭すぎた。ちょっとうろうろするぐらいのスペースしか提供できなかった・・・。
そしてもう一つは、本物のルンバが動いたときのほうが盛り上がっちゃったこと・・・かなあ。ルンバの動きを実際に目にしたことのなかった私たちにはルンバは新鮮だったし、「ルンバになる」という点ではルンバにはかなわない。
となるとやはり、「ルンバになる」ということよりも「一日中掃除し続ける」という方に重点が置かれるべきだったのかもしれない。ご家族のお留守のときに黙々とお掃除を引き受けるルンバのように。
そしてそれを表現するにはあまりにスペースが狭すぎた。
何か日常生活が淡々と行われている脇で「くルンバ」が黙々と掃除するっていうのがいいのかもな。そうなるとやはり、広大なロビーを持つホワイトキューブじゃないでしょうか。
そういう館に心当たりの方はご一報ください。
もしくは体育館か!?目指せ武道館なのか!?
くるみちゃんはどう思います?
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子
小国中ワークショップ5/父の背中 8月20日
今日は盛りだくさんすぎて何を書いていいかわからない。
お葉書や手紙や荷物が一挙に届いたり、いらっしゃるお客さんもとても濃く、もう少し分散してくれてもいいのにと思ってしまった。お越しくださった方、気にかけてくださっている方、ただもう感謝でいっぱいです。つまんないこと言ってすみません。
この日の中学生ワークショップは15名という大勢が集って、わたしはガラスが割れそうな大声を張りあげ続けました。
後頭部の顔描きは、みんなけっこう興味深げな面持ちで今にも一歩踏み出しそうにしているくせに誰も「描きます」とは言い出さず、そういう子には触れないでいちばん遠くにいた子を指しました。
まるで人ごとみたいな顔をしていたので。
わたしは小学校までは比較的優秀で、いつ当てられてもいいよう準備万端でキラキラしているタイプでした。当時はわざわざぼんくらを指す先生の心情が解せなかったのですが、自分が指名権を得た今、やっぱりかつての自分のような子はスルーして、もっと先が読めない子に委ねたいと迷わず思いました。
描き終えて自然にわき起こる拍手。
ありがとう!いい顔です!ぼんくらアンパンマン!
数字書き
ひらかな書き
数字と文字でウォーミングアップをしたところで、
全員で「くだもの」の絵に挑戦するよー! みんな、一列に並んだらまるく輪になって!!
そしたら、円になったら何描いてるか見えてまうやんと突っ込まれ、ほんとだ!! 死ぬほど笑いました。気ーづーかーなーか っ たーー!
ひえええどうしよう!
でも、輪になってるところの画が撮りたいんだようとわたしがごねたら、みんなが「順番がくるまで目をつぶる!」と協力してくれました。
あなたたちは日本の宝です。
スタートのさくらんぼ。
中盤のリレー。
ぶどうが伝わっている。
…わかった!
描かれてる最中は真剣そのもの
どうしようわかんない…
何度もなぞります
わからない線をそのまま描いて!
………えー…
なんだよこれで終わりかよ!
くだものじゃねえ
くだものじゃない…
ブーメランになって戻ってきましたあ
みなさんのご協力で輪になって描く夢が叶いました。わがまま通してごめんね!輪になったせいでてんてこまいだし、今見たら輪っぽい写真もあんまりなかったよ!
かろうじて輪になっているような、遠巻きにみているだけのような一枚。輪になる必要なかったね。もうしません。
リレー選抜。十二指腸のような物体も紛れています。きっと腸の中にさくらんぼがいるんです。「見えぬけれどもあるんだよ」。
後ろの顔が、たいがい間抜けで気に入っています。わたしによく似ている。
午後。
『父の背中』は今日もたくさんの方に参加していただきました。
明後日でワークショップが終わるので、そしたら3回分まとめてご紹介します。
ワークショップも手伝ってくれた、美術の先生のご友人が一曲披露してくださいました。
『父の背中』のメッセージは「一日一味噌」。味噌屋のお嬢さんです。ありがとう、よい旅を!
そして「校内のポスターを見て」わたしの出身大学の在校生がはるばる小国まで来てくれました、広島から、3日かけて、自転車で。そんな楽しそうなことされて悔しい。若者の芽を摘もうと思って山下さんといっしょにいっぱい適当な人生相談して惑わしました。迷え迷え。『父の背中』は「虫とり少年」。 応援してます、よい旅を!
---本日の学芸員赤ペン--------
中学生のワークショップも5回目となりました。
毎回新しいことを盛り込みたいと考えたくるみちゃんの、最後は「円」になるというプランは、賢い中学生たちにあっさり一蹴されたものの、これまた賢く優しい中学生たちの協力で無事成功。みんなとてもいい顔で取り組んでいました。
夏休みの小国中1年生の鑑賞体験教室は、始めてからもう10年を超えますが、ここ3年は「アートの風」の招待作家たちにワークショップを担当してもらっています。コミュニケーション力がある作家によるシリーズ「アートの風」なので、当然、ワークショップも楽しいものになります。何しろ、作家と直接触れ合うというのは、先生や学芸員の話を聞くのとはやっぱり違います。先生には先生の、学芸員には学芸員の得意な分野や話し方があって、作家にはできない部分もあるのですが、やはり後頭部に顔を描いてもらうというのは誰にでもできることではなく、作家にしかできない伝え方なのです。
何が伝わっているのかは、中学生たちが大人になった頃にわかるのかもしれません。でも、伝わっていて欲しいと思うこと、伝えることができるのではないかと思うことは、世界は多様で、人も多様で、今いる自分の小さな世界の奥には、思いもつかない広い世界が広がっていて、想像力でジャンプすれば、いつでもそこにアクセスすることができるということ。そして、今いる自分の小さな世界も、他の誰かから見れば思いもつかない広い世界であること。それぞれが小さくて広大な世界を持ち寄ってこの世界が成り立っていること。
そういうことではないかと私は思っています。
中学生回も残すところあと1回。
次はどんなことが起こるのかな~。
坂本善三美術館 学芸員 山下弘子